Guten
Tag!!
前回のブログでは、ドイツの国歌を扱いました。その中でオーストリアの国歌の作曲者をW.A.モーツァルトとご紹介しましたが、現在ではJ.ホルツァーとする説が一般的なようです。申し訳ございません。
今回は、ドイツの国歌を作曲した、F.J.ハイドンを紹介していきたいと思います。
Franz
Joseph Haydn
Wikipediaより
ハイドン(Franz Joseph Haydn)は1732年に現在のオーストリア北東部に生まれました。29歳の時に、ハンガリー西部の貴族、エステルハージ家(Esterázy)の副楽長の職に就いて以来、生涯のほとんどをこのエステルハージ家に仕えていました。
その期間にハイドンは80以上もの交響曲や、60以上の弦楽四重奏曲などを作曲しました。その中には、「王妃」の愛称で知られる交響曲第85番や、「ひばり」の愛称で知られる弦楽四重奏曲第67番、さらには、現在でも特に演奏機会の多いチェロ協奏曲第1,2番があります。
ここでそのいくつかを聴いてみましょう。
F.J.Haydn
– Symphony No.85 Hob I:85
Youtubeより
F.J.Haydn
– String Quartet No.67 Hob III:63
Youtubeより
エステルハージ家に仕えていた時に、ハイドンはモーツァルトと親交を深めました。それをきっかけにモーツァルトは、6つの弦楽四重奏曲をハイドンに捧げました。これが、ハイドン・セットです。
ハイドンがモーツァルトに与えた影響は大きく、モーツァルトの初期の交響曲や弦楽四重奏曲には、ハイドンの作曲の手法が用いられたものも少なくありません。
エステルハージ家から離職したのち、ハイドンはイギリスに移ります。このイギリス滞在中に作曲したのが、「驚愕」や「軍隊」、「ロンドン」などの各交響曲です。これらも現在演奏機会が多いので、聴いたことのある人も多いのではないでしょうか。
F.J.Haydn
– Symphony No.94 Hob I:94
Youtubeより
ウィーンに戻ってくると、ハイドンは、オラトリオやミサ曲といった宗教音楽や、「皇帝」、「五度」などの弦楽四重奏曲を作曲します。弦楽四重奏曲第77番「皇帝」の第2楽章の旋律は、現ドイツ国歌として、親しまれています。
このようにハイドンは多くの楽曲を残しており、特に100以上もの交響曲を作曲したことから、「交響曲の父」とも呼ばれています。また、後世の作曲家らに与えた影響は大きく、特にW.A.モーツァルトや初期のL.V.ベートーヴェンの作品には、ハイドンの作風が見えるようにも思えます。
ハイドン特集いかがでしたか?次回もお楽しみに。それでは、Tschüss!!
小林尚暉
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