2016年6月27日月曜日

映画『生き写しのプリマ』

監督: Margarethe von Torotta
2015

ストーリー

「話があるんだ」と思いつめた声で父から呼び出されたゾフィは、ネットのニュースを見せられて唖然とする。そこには、1年前に亡くなった最愛の母エヴェリンに生き写しの女性が映っていた。彼女の名はカタリーナ、メトロポリタン・オペラで歌う著名なプリマドンナで、同じ歌手でもドイツの名もないクラブをクビになったばかりのゾフィとは住む世界の違うスターだ。父はどうしても彼女のことが知りたいと、ゾフィを強引にニューヨークへと送り出す。気まぐれでミステリアスなカタリーナに振り回されながら、彼女と母の関係を探るゾフィ。どうやら母には、家族の知らないもう一つの顔があったらしい──。

(公式サイトより)

劇場情報:7月16日(土) YEBISU GARDEN CINEMA 他 全国順次ロードショー









2016年6月24日金曜日

映画『ブレイク・ビーターズ』(原題:DESSAU DANCERS)

監督:Jan Martin Scharf
2015年


〜ストーリー〜
1985年夏、舞台は東ドイツの工業都市デッサウ。
そこで暮らす19歳のフランクは、ある?西ドイツのテレビに出演していたダンサーのキレッキレな動きを見て、一瞬で心を奪われる。翌日、東ドイツの映画館で上映されていたアメリカ映画『ビート・ストリート』を観に行き、すっかりブレイクダンスの虜に。映画館からの帰り道、フランクと親友アレックスはショーウィンドウの前でさっき見たダンスを真似しては心を躍らせていた。フランクとアレックスは、元オリンピック代表の女性体操選手マティナや同じくブレイクダンスの魅力に取り憑かれたミヒェルと出会い、一緒に路上でダンスを踊るようになる。

そんなとき、マインハルト委員長率いる「娯楽芸術委員会」は彼らが路上でダンスをしていることを知り、アメリカ生まれの非社会主義的なブレイクダンスを禁止しようと動き出す。ある日他のダンスグループとダンス・バトルをしていたフランクたち4人は、国家警察に逮捕されてしまう。警察とシュタージ(国家保安省)の取り調べに対し、「ブレイクダンスはもともとアメリカの貧しい人々や虐げられた人々の反抗の運動から生まれ、反資本主義の思想を持っているのだ」と説得したフランクの機転が功を奏し、ダンサーたちはほどなく釈放される。しかし、フランクの父は息子の反社会的なブレイクダンスに猛反対。親子の間には言い争いが耐えないようになってしまう。
さらに勢いを増すブレイクダンスに対して、 「娯楽芸術委員会」が打ち出したのは、"ブレイクダンスを社会主義化する"ということだった。フランク、アレックス、マティナ、ミヒェルのチーム"ブレイク・ビーターズ"は委員会の前でダンスを披露し"アクロバティック・ショーダンス"を踊る"人民芸術集団"として認められる。
委員会から派遣された専属コーチによって、各自の得意技を披露するブレイクダンスではなく、一列に並んで同時に同じダンスを披露させる"社会主義的に統制された"ダンスチームへと作り上げられていくブレイク・ビーターズたち。しかし、専用バスで東ドイツ中の国営クラブを巡業し、どんどん有名になっていく彼らには喜びの方が勝っていた。まるでロックスターのように華やかで憧れの的となったブレイク・ビーターズだったが、いつの間にか国家体制の操り人形となり、他のダンスチームから軽蔑されていく。
フランクは望んでいなかったところへ辿り着いてしまったことを悟り、手を引くことを決意する。大人気の娯楽テレビ番組に出演することになったブレイク・ビーターズは模範的な演技を求められるが、ブレイクダンスへの純粋な思いを捨てきれず、ある思い切った行動に出るー。



劇場情報
東京:ヒューマントラストシネマ渋谷
6月25日(土)〜

詳細はHP



「反資本主義者の団結を踊りで表現してるんですが なにか?」

【学生記事】 『夜と霧』-人間について再考する


 遅まきながら先日、フランクルの『夜と霧』を読了しました。以前、ある全国紙に『国語教師が中学生に読んで欲しい一冊』というランキングが掲載されており、その中でこの作品は、夏目漱石の『こころ』や、あさのあつこの『一瞬の風になれ』等に連なり10位になっていたため、ドイツ語学科に身を置くものとして、一度は読んでおかなくてはと思ってはいたのです。ですが、この本の著者が精神科医だと知り、「硬い、難解な内容なのではないか」としりごみをしてしまい、ずるずると読まないままでいました。けれど、知人にそんな話をしたところ、「専門的な知識がなくても問題なく読める。それより、是非読んだほうがいい」と勧められ、勇気を出して挑むことになりました。
そして、強制収容所の実相を知り、あまりの悲惨さに胸をえぐられるような思いをするとともに、考えざるを得ませんでした。
「理想の人間」とはどうあるべきなのか、と。 

 ヴィクトール・フランクルは、オーストリアのユダヤ人精神科医で、その生まれのために第二次世界大戦中ナチスによって強制収容所に送られました。そこで彼は、心理学者として収容所での人々を観察します。そして、そこで辿り着いた「人間とはなにか、人間とはどうあるべきか」という問いへの結論と、自らの収容体験を綴ったのがこの本『夜と霧』です。1947年の出版以来、この作品は数カ国後に翻訳され、出版から半世紀以上を経た今なお読み継がれています。
 被収容者が体験した収容所生活は、言葉に尽くせないほど凄絶を極めるものでした。
人々は僅かな食事で過酷な労働を日々強いられ、また寝所である収容棟は衛生さとは遠くかけ離れていたため、抵抗力を失った収容者は病や飢えで次々と命を落としていきました。
 そして、残された者達は、生きのびるというその目的のために、もはやなりふり構わなくなっていったといいます。自分やその親類、近しい友人が生きるため、それ以外の他人に犠牲を押し付けることを厭わなくなったのです。大方の人間は、死にたくなどないでしょう。こんな願いを持つ人に、後ろ指を指すことができるでしょうか。
 けれど、生きるか死ぬかという瀬戸際に置かれた人間が、このように変化するのは、果たして避けられないことなのでしょうか。これに対し、収容生活を体験したフランクルは、「否」と唱えています。
 本文にはこう述べられています。

 どんな権力も運命も、「与えられた環境の中で、どのように振る舞うか」という人間の最後の自由だけは奪うことができない。その証に、強制収容所にいたことのあるものは、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとを知っている、と。

  多くの人が、熾烈な生存競争を勝ち抜くため、良心を忘れてしまう収容所の中にも、なお他人を気遣う心を持ち続け、「人間らしい人間」で留まろうとした人びとがいました。
自分がどのような人間でいるかを最終的に決定するのは、ほかならぬ自分自身なのです。
 現代、私達は自分自身のあり方について意識して考えることはあるでしょうか。
どんな集団の中でも、容姿や能力の劣る人に対する差別や嘲笑、いじめは悲しいけれど存在し、また、「自分さえ良ければいい」と、他者を顧みない人もいます。平気で他人を傷つける人もいます。
けれど、このような心の在り方は、果たして人間的といえるのでしょうか。
自分自身の在り方を、少し立ち止まって考えてみませんか。フランクルの言葉を借りれば、自分自身のあり方をどう決定するか、私達は日々「試されている」のです。
また、「与えられた環境でいかに振る舞うか」という問いは、「現状に不満があっても、腐らず努力ができるか」という、ままならない社会で生きる私達が必要だろう問いにも言い換えられることができるのでは、と私は愚考しています。
(フランクルの意図していたものからずれているような気もしますが……)

長々とまとまりのない文章を書いてしまいましたが、フランクルの文章はもっと読みやすいです。
強制収容について学ぶ上でもきっと役に立つと思いますので、是非お読みいただければと思います。

 

しゃもじ


2016年6月20日月曜日

映画『Die Wand (The Wall) ー 壁』(EU Film Days 2016)

EU Film Days 2016の参加作品としてオーストリア映画である『Die Wand (The Wall) ー 壁』が上映されます。

上映場所:
東京国立近代美術フィルムセンター

上映日時:
6月23日(木)16:00、6月26日(日)13:45

※26日は上映後に原作の翻訳を担当された諏訪攻先生のお話があります。
 また、お話をされる諏訪先生は本学の元特任教授でもあります。


チケット情報などは以下よりどうぞ。
また、同日にドイツ映画『ロストックの長い夜』も上映されます。よろしければそちらのほうもご参照ください。



学外展示『聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画』

国立西洋美術館で『聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画』企画展が7月より催されます。
イスラエル・ファン・メッケネムの作品などを主催でもあるドイツのミュンヘン州立版画素描館からお借りして行うこの展示はドイツ語圏の美術・宗教・思想に興味のある方には見逃すことのできない展示でしょう。



『聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画』

開催期間: 7月9日(土)〜9月19日(月・祝)

場所:
国立西洋美術館




※本学学生は国立美術館キャンパスメンバーズなので、窓口で学生証を提示することで割引価格で特別展を見ることができます。


企画展の詳細はリンク先を参照してください。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016meckenem.html

2016年6月13日月曜日

【学生記事】BAB 555 アウトバーンの歴史をたどる





Quelle: Wikimedia Commons/Harald Hoffmann

 

 伝説や逸話というものは、とかく独り歩きしやすいものです。ではなぜそのような結果になるのでしょうか?一方には出版という形で、また一方には映像やラジオを通じて、ということが考えられます。そして事実を意図的に歪めるものが、いわずと知れたプロパガンダというものです。そんな昔のプロパガンダは全部分かっているから、今更書く必要もないだろう。あるいはそうかも分りません。しかし政治宣伝が巧妙に利用されたらどんなことになるか、そうした歴史を今一度見直してみるのも無駄ではないでしょう。

 
 BAB 555 (Bundesautobahn) KölnBonn間を結ぶドイツ初のアウトバーンです。完成したのは193286日、そしてヒトラーが政権を握ることになるのが1933年です。計画では、アウトバーン建設によって、多くの雇用が生まれ、そのために掘削機の投入を禁止することになっていました。しかし定説では、「ヒトラーによって」アウトバーン建設が実行に移され、失業者が大幅に減少したことになっていますこれらはテレビなどでも観ることのできる情報です。それに対して真説であるのは、BAB 555 は当時の Köln市長、Konrad Adenauer によって計画され、建設が進められたということです。しかしなぜ、そうした真説は伝わりにくくなってしまったのでしょうか?ここに巧みな情報戦略が紛れ込んでしまったのは、陳腐な言い回しかもしれませんが、歴史の悲劇なのでしょう。ヒトラーは実際、このアウトバーンを政治的に利用できると考えていました。そこで彼は、19339月、Frankfurt am Mainにおいて「初のアウトバーン」建設工事の鍬入れを行いました(道路はDarmstadt にまで及びます)。それ以前、ヒトラーはAdenauerAutobahnを国道に格下げし、最初にアウトバーンをつくった人間としての名声を得ることに成功したわけです。言い換えれば、雇用創出に効果のあるアウトバーン建設を、自分の計画であったと主張しているようなものです。

 話がややこしくなってしまいましたが、私の読み解くところでは、まずアデナウアーの手によるBAB 555 が国道に格下げされました。そしてヒトラーが「初の」という形容詞を付け、大々的にアウトバーン建設を推進したために、今の定説がある私自身はそのように読みました。

 
 私たちがここから読み取れることはなんでしょうか?ドイツで「ヒトラーは最初のアウトバーン建設とは関係ない」といった記事が書かれているということは、関係があると考えている人もいるということです(私もそうだったのですが)。メディアをプロパガンダ目的に利用されたということは、規制もあったということ。つまり問題になってくるのは、報道の自由です。独裁者のいる国はたしかに激減しました。ただしメディア規制はいつ、どのように行われるか分りません。ですから真実を追求するジャーナリストの存在は、将来も機械にとってかわられることはないと思うのです。

Yuki Watanabe

 

 追記:今回のアウトバーンに関する真実は、ZDFGeheimnis der Weimarer Republik 1929-1933: Der Weg in der Abgrund で知りました。興味のある方は動画サイトなどでも検索してみてください。なお、このDoku はシリーズになっており、該当部分は Folge 3 です。

 

今回参考にした記事:



 

2016年6月6日月曜日

【学生記事】Coppelius 21世紀に蘇りし紳士バンド

 Hallo, zusammen! だんだん暖かいを通り越して暑くなってきましたが、みなさんお元気ですか?
6月は祝日もないし、天気もどんよりでちょっと気持ちが滅入りそうなMarktbrückeです。

 そんな風にテンションの上がらないとき、みなさんは何をしますか?食べる、出かける、おしゃべり
する、寝る(?)…人によってその方法はさまざまだと思いますが、私の場合は音楽を聴くことです。
そこで今回は、夏前のなんだかボンヤリとした日々を乗り切ろう!ということで、とあるドイツのバンドを
紹介したいと思います。ドイツ音楽なのにクラシックじゃないのか〜という方、これを機にドイツ音楽の
ジャンルを広げましょう!
 さっそく紹介にうつりましょう。まずはバンドの写真がこちら! 



 ……なにやらすごいですね。どこから突っ込めばいいやら、という表現がぴったりです。
バンド名はCoppelius(コペリウス)、1997年結成のメタルバンドです。
ただこのCoppelius、普通のメタルバンドとは少し違うところがあるんです。





 そう、コペリウスの最大の特徴はこのメタルバンドとは思えない楽器編成です。
クラリネット、チェロ、コントラバスとドラム。まるで室内楽のような楽器編成が、このバンドの音楽を彩って
いるのです。
 コペリウスのバンドメンバーの6人は「19世紀に現れし紳士」であり、そのためシルクハットにフロックコー
トといういで立ちなのだとか。そして19世紀といえばブラームス、ワーグナー、シューマンなどが活躍した
ロマン主義の時代!これを聞くとドイツクラシックファンのみなさんも興味が湧いてきたのでは?

 そしてコペリウスの音楽の特徴は、メタルというジャンルらしい重厚感、ヘヴィーさはありながら、同時に
繊細で細やかなところです。品の良さすら感じさせるような音の重なり、しかしそこから溢れるパワーを
ていると、本当に彼らは19世紀からタイプスリップしてきた紳士達で、混沌とした近代音楽とクラシック
を融合させているのでは?!と思ってしまいます。


 そしてもう一つ、コペリウスには面白いところが!
http://www.coppelius.eu/eingangshalle_jp.html こちら、コペリウスのオフィシャルサイトなのですが、
なんとページの選択言語に日本語があるのです。以下、少しバンドの紹介文を引用します。

コペリウスが今再び素晴らしき音楽を蘇らせる。19世紀に登場した6人の 紳士。しっかり着飾られたフロックコート、見栄えの良いシルクハット、 そして靴もきちんと磨かれている。


小説のような文章です。誰か、Japanologie(日本学)でも勉強していたのか?!
と思ったらカラクリはこちら。




 ドラムのNobusamaです。ノ、ノブサマ…??そう、信様です。なんとコペリウス、ドラマーが日本人なの
です!オフィシャルサイトによれば、信様は浪人侍で、オランダ貿易船に身を隠し、ヨーロッパに赴いた
にコペリウスのドラマーとなったのだとか。なるほど、髪が長いのもうなずけます。そしてこの信様、神秘
のベールに包まれていて、「信様」である、という情報しかありません。彼は一体何者なのか…それは
いつか明らかにしたいと思います。

 サイトには、このような調子のプロフィールが6人分載っています。これは果たして、ドイツ的ジョーク
センスなのか、日本的ジョークセンスなのか…。



 さてさて、みなさんコペリウスに興味を持っていただけたでしょうか?しかしこういうものは百聞は一
見にしかず(一聴にしかず?)、Youtubeには彼らの公式チャンネルがあるので、ぜひ聴いてみてくだ
さい!そして祝日のない6月を乗り切りましょう!






Marktbrücke



写真の出展