2017年10月27日金曜日

【学生記事】Das Boot

学生記者のヨシタカです。秋学期もよろしくお願いします。
今回紹介するのは、1981年公開のドイツ映画『Das Boot』です。監督・脚本はウォルフガング・ペーターガング(Wolfgang Petergang)、上映時間135分。巨額の製作費がつぎ込まれた映画で、アカデミー賞6部門でノミネートされました。

  


 あらすじは以下の通りです。Wikipediaより引用いたしました。

「第二次世界大戦中の1941年秋、ナチス・ドイツの占領下にあったフランス大西洋岸のラ・ロシェル港から、1隻のUボート「U96」が出航する。彼らに与えられた任務は、大西洋を航行する連合国護送船団への攻撃であった。報道班員のヴェルナー少尉はUボートの戦いを取材するため、歴戦の艦長と古参のクルー、若者ばかりの水兵を乗せたU96に乗り込む。荒れ狂う北大西洋での孤独な索敵行、ようやく発見した敵船団への攻撃と戦果、海中で息を潜めながら聞く敵駆逐艦のソナー音と爆雷の恐怖、そして目の前に突きつけられた死に行く敵の姿。疲労したU96の乗組員たちはクリスマスには帰港できることを願うが、母国から届いた指令はイギリス軍の地中海要衝であるジブラルタル海峡を突破してイタリアに向え、という過酷なものであった。中立国スペインのビゴにて偽装商船から補給を受けたU96は、敵が厳しく警戒するジブラルタル海峡突破に挑む。艦長、ヴェルナー少尉、そして乗組員たちの前には非情な運命が待ち受けていた。」

この映画の原作は、ドイツの作家ローター=ギュンター・ブーフハイム(Lothar-Günther Buchheim, 1918 - 2007)による小説『Das Boot』です。第二次世界大戦中従軍記者であったブーフハイムは、乗組員としてドイツ潜水艦U962か月ほど搭乗した経験があるようです。この小説における主人公も従軍記者であることを考えれば、小説の土台となっているのはまさに彼自身のそこでの体験といっていいでしょう。

この映画の見どころは、まず小さい点へのこだわりだと思います。例えば、第二次世界大戦中のドイツ潜水艦は小柄な割に航海が長かったので食料をいたるところに満載していましたが、映画でも艦内に所狭しと肉がぶら下がっていたりしています。また一人の士官がレモンを食べているという何気ないシーンもありますが、当時のドイツ潜水艦では乗組員のビタミン不足を補うために本当にレモンが食べられていたようです。他にも全体的なストーリーには全く関係しないとしてもこのように細部までこだわった点がよく見受けられます。他の潜水艦映画であると、意外とこのような点が適当だったりするんです。
そしてもう一つの見どころがそのリアルさ。映画を見ていると、物語が進むにつれて乗組員の髪や髭がのび、見た目も徐々に汚らしくなっていくのがわかります。その不潔具合が画面から臭いが漂ってくるのではないかというほど迫力があるんですよね。事実、体ばかりか服も洗えず換気もできない潜水艦では、臭いや湿気がこもり衛生状態もきわめて悪かったようです。このような点も見事に表現されています。
この映画の撮影にあたっては潜水艦内部の実物大セットが作られ、艦長室や機関室、トイレまでもが精巧に再現されました。機関室のエンジンは実際に稼働するようで、この実物さながらの撮影セットも映画の再現度の高さに一役買っています。また、外側の撮影用にはラジコンで動く潜水艦の模型などが作られました。
ちなみにこのセットは現在ミュンヘン郊外の映画スタジオ「バヴァリアン・フィルムシュタット」にて展示されています。興味のある方はぜひ。(URLhttp://www.filmstadt.de/

 ストーリーに関してはあらすじに書いてある通りですが、やはり注目してほしいのはドイツ潜水艦乗組員がいかに過酷な状況で戦っていたかという点です。再現にここまでこだわるのも、知る機会もほとんどない実際の乗組員達の苦労を知ってほしいという特別な意図があったからでしょう。
映画冒頭には“Von den 40000 deutschen U-Boot-Männern des Zweiten Weltkrieges kehrten 30000 nicht zurück.”(「第二次世界大戦における4万ものドイツ人潜水艦乗組員のうち、3万は戻ってこなかった」)というテロップが出されますが、このテロップからもこの映画が彼らの活躍ぶりというより、その悲劇を語るものであることがうかがえます。一応映画はフィクションですが、第二次世界大戦におけるドイツ潜水艦に関する点では再現度は非常に高いので、そのような点にも興味のある方にはぜひ見ていただきたいです。

せっかくなので、ここで前回同様に映画の一場面をドイツ語のセリフと和訳つきで紹介したいと思います。私が勝手に訳したものなのでわかりづらい点もあるかもしれませんが、ご了承ください。注釈もつけておきました。
場面としては映画の前半部分で、艦長と士官達の静かに食事しているときにドイツ本国からのプロパガンダ放送が流れるところから始まります。艦長はナチス首脳部に対して冷ややかですが、士官の一人である先任士官はその熱狂的な支持者であるということに注意して見てください。ストーリーそのものには全く影響しないシーンなので、ご安心ください。


 KaLeu„Kapitänleutnant “「艦長」 1WO„1 Wachoffizier“「先任士官」

KaLeu: "Die Herren sind wohl in Berlin nur noch damit beschäftigt, für Churchill neue Schimpfnamen zu erfinden. Wie heißt er jetzt? Trunkenbold. Saufbold. Paralytiker. Ich muss schon sagen, für 'nen1 besoffenen Paralytiker heizt der uns ganz schön ein."
「どうせ奴ら(ドイツ本国の作戦首脳)はチャーチルの新しいあだ名を考えるのに忙しいんだろう。今はなんて呼ばれてる?飲んだくれ。大酒飲み。アル中。こんな飲んだくれが我々をこんなにも苦しめているのだ。」

1WO: "Genau. Wir werden ihn in die Knie zwingen2. Das ist meine feste Überzeugung."
「その通りです。我々は奴を屈服させるのです。これだけは間違いありません。」

KaLeu: "Ich will Ihnen mal was sagen, Sie Schlauberger3. Auf den Knien ist der noch lange nicht. Möchte nicht wissen, wie viele von seinen Schiffen jetzt durchkommen4. Gerade jetzt, wo wir hier rumhängen5 und Löcher in die Luft starren6. Wo bleiben denn unsere Flugzeuge, unsere Seeaufklärer, Herr Göring7? Der Gegner hat sie massenhaft. Ne große Schnauze haben, das ist alles, was dieser Fettwanst8 leistet. Maulhelden. Nichts als Maulhelden. Allesamt."
「分かってないようだから、一言言わせてもらう。奴は到底屈服などしない。今どれだけのイギリス輸送船が大西洋を渡っていることか。まさに今、我々がこうしてぼんやりとしている間にだ。まったく味方の航空機や偵察機はどこにいるんだ、ゲーリングさんよ?敵さんはたくさん持っているというのに。あのでぶ、口だけが達者ときやがる。ほら吹きめ。ほら吹き以外のなんでもない。奴ら全員だ。」

KaLeu: "Na los. Notieren Sie das. Nehmen Sie das auf in Ihr Helden-Epos. Die Propaganda-Kompanie wird sich freuen. Musik fehlt hier. Unser Hitlerjugendführer könnte mal 'ne Platte auflegen lassen."
「(従軍記者に対して)これを書き留めておいたらどうかね?武勇伝としてとっておきたまえ。宣伝部は喜ぶだろう。音楽でも流そうか。我らがヒトラーユーゲントのリーダー(先任士官のこと)がレコードをセットしてくれるだろう。」

(先任士官が腹を立てたように立ち上がり、レコードをセットしに行く)

KaLeu: "Den Tipperary Song9, wenn ich bitten darf!"
「(先任士官に対して)ティペラリーの歌を頼む!」

(艦内にレコードの曲が流れ、乗組員もそれに合わせて歌う

KaLeu: "Die Platte wird doch hoffentlich Ihrem weltanschaulichen Unterbau nicht schaden, 1WO10!"
「(音楽が流れる中、うつむいて黙る先任士官に対して)こんな音楽じゃその固い信念は動かんだろう、1WO!」

für 'nen1  
für einenの口語的省略形です。
in die Knie zwingen2 
「屈服させる」の意味。Knieは膝です。
Schlauberger3
「(軽蔑の念を込めて)賢いやつ」という意味です。スラングです。あまり良い訳が思いつきませんでした…。
これは余談ですが、例えば “Klugscheißer“ (頭が良いことを常に見せたがる人) もぴったりの日本語の対訳がないように思います。「知ったかぶり」でも行けるかと思いましたが、これはどちらかというと「知らないことを」あたかも知っているかのように話す人なので、違うのかと思います。誰かアイデアのある人がいたら、ぜひ教えていただきたいです。
wie viele von seinen Schiffen jetzt durchkommen4
「どれだけの輸送船が大西洋を渡るか」と訳しました。第二次世界大戦当時、ドイツ潜水艦はアメリカからイギリスへ向かう輸送船を撃沈するべく広く大西洋に展開していました。durchkommenというのは、これら輸送船がドイツ潜水艦の手にかかることなく大西洋を通り抜ける、ということを指していたのかと思われます。
rumhängen5
 herumhängen の口語的省略形で、「何もせずにいる」という意味です。私の週末の過ごし方です。
Löcher in die Luft starren6
「空中の穴を見つめる」、つまり「ぼんやりとしている」という慣用句です。
Herr Göring7
ナチス党幹部、ヘルマン・ゲーリング (Herman Göring, 18931946) のこと。航空相、空軍総司令官などを歴任しました。この場面で艦長がゲーリングに味方の偵察機はどこだと悪態をついているのも、このためです。
Fettwanst8
「太った人」のことです。軽蔑的表現かつスラングであるということを加味すれば「でぶ」とか「太っちょ」が訳としてちょうどいいのかもしれません。ゲーリングは実際に太っていたようです。
Tipperary Song9
 通称「ティペラリーの歌」です。「it’s a long way to Tipperary…」と始まるイギリスの歌で、第一次世界大戦中イギリス兵の間で流行しました。敵国イギリスの歌を流すというのは当時からすれば非常にきわどいことであったと思います。潜水艦という閉鎖空間だからこそできることなのでしょう。
1WO10
 既に書きましたように、WOというのはWachoffizierの略で、軍隊の階級を表すものです。しかしこの場面を見てわかるように、呼称として使われています。1WOでいえば「アインス・ヴェーオー」、KaLeuでいえば「カーロイ」という感じです。実はドイツ海軍全般でもそうだったとか。

2017年10月26日木曜日

【学生記事】Interuni-Seminar 2017 Sommer

 こんにちは。お久しぶりの投稿になります!
秋学期は、私が夏休み中に参加した学外のドイツ語関連イベントの参加報告を主に投稿していきたいと思います。

 秋学期第一号となる10月は、以前ご紹介した「Interuni-Seminar(インターウニ・ゼミナール)」の今夏の参加報告です。


 今年の夏のインターウニ・ゼミナールは8月4日(金)~8月8日(火)まで、山梨県山中湖で開催されました。参加者の多くは大学院生で日本の学生が約20人、日本に留学しているドイツ人学生が4人、韓国からのゲスト学生が2人とおよそ30人ほどでした。日本各地のドイツ語に関係する日本人教授とドイツ人教授が集まり、およそ40人で5日間を過ごしました。(宿舎の目の前は山中湖と富士山!!!)


 今回のディスカッションテーマは『岐路に立つ「共通の価値--,,Gemeinsame Werte" in Gefahr --でした。日本語で討論するにも難しいテーマだったなと個人的には思いました。

島国で無宗教である日本だからこそ、なかなか考えない、また触れることが少ない問題が多く絡んでいて、いろんな視点から物事を考える必要がありました。

今年、2017年ドイツのThomas de Maizière 内相によって提唱された10項目のDeutsche Leitkulturについて、まず議論しました。この10項目は、イスラム教の女性が着用するブルカの着用を日常的に認めるか否かで、議論が繰り広げられ、そのニュースは日本にもわたりました。

私たちが議論で使用した資料は、すべてドイツ語で書かれていました。日本のニュース番組やニュースサイトでは10項目すべてに触れている記事は少なく、いくつかにフォーカスして報道されていたので、10項目すべてに目を通したのは初めてでした。私が参加したグループでは、項目ごとに簡単に要約したり、Thomas de Maizière 内相の10項目に対して自分たちのプランを作成したりしました。日本ではあまり考える機会がない「宗教」を深く考えるきっかけになりました。ディスカッションはすべてドイツ語で行われ、とてもレベルが高かったです。同じグループで活動していた参加者は大学院生が多く、知識量はもちろん、ドイツ語を使う事、ドイツ語で自分の意見を細かいニュアンスまで伝えられること、また自分なりの視点でディスカッションに臨んでいるということを強く感じました。

10項目のDeutsche Leitkulturほかにも、自分の興味のある分野ごとにグループを作り、「共通の価値」について議論しプレゼンテーションしました。私たちのグループでは「Esskultur」について発表しました。劇を交えて日独の異なる食習慣を紹介し、議論しました。一番興味深かったことは、「いただきます」と「Guten Appetit!」の意味と役割の違いです。日本では「いただきます」という言葉には、食材の命や、その食材が自分の食事として目の前のお皿に並ぶまでに携わってくれた人々への感謝の気持ちが込められています。一方、「Guten Appetit!」は一緒に食事する人とのコミュニケーションの合言葉という事を議論を通して知りました。この違いは食事の挨拶に限らず、他の挨拶のもいえることだなと感じました。このグループでの活動は私自身、教職を取っているからこそ見えた「食育」という視点から、食事のマナーや挨拶などを比較し、考える事が出来てとても勉強になりました。

前回参加した春のインターウニ・ゼミナールとの明らかな違いは「レベル」だったと強く感じました。春はドイツ語学習の初級・中級者向けでしたが、今回の参加者の多くは大学院生でした。自分のドイツ語の運用能力、語彙や表現、そして知識量の圧倒的少なさを痛感した5日間でした。自分のドイツ語学習方法を見直すきっかけになり、次の春のインターウニ・ゼミナールへのいい刺激になったと思います。今回のインターウニ・ゼミナールを通して「異文化理解」というテーマに関心を持ち、そして自分なりの教職という視点を自分の視点にしたいと思えました。とにかく刺激をもらい続けた5日間でした!

Thomas de Maizière内相の10項目(ドイツ語)とインターウニゼミナールのリンクを以下に張り付けてあるので気になる人はぜひ見てみてください!

Zehn Punkte Plan von Thomas de Maizière(出典:Frankfruter Allgemeine
Interuni-Seminar 公式ホームページ

小峯 萌花

2017年10月11日水曜日

【獨協インターナショナル・フォーラム2】ルターと音楽 Luther und Musik

2017年は、マルティン・ルター(14831546)が1517年に「95か条の提題」を出してから500周年の節目の年で、ドイツでもそのことを記念する行事がたくさん行われています。獨協大学でも、1111日(土)に国際フォーラムを行うことになりましたので、それに関連してルターと音楽について書いてみたいと思います。

 ルターといえば、世界史では宗教改革を行った人物として習ったと思います。詳しい人だと、ヴァルトブルク城にこもって聖書をドイツ語訳したとか、ラテン語で行われていたキリスト教の礼拝に母国語(ドイツ語)を持ち込んだとかいうことも知っているかもしれません。でも、ルターと音楽ってどう結びつくの?と疑問に思う人が多いのではないでしょうか。


実はルターはとても音楽の才能のある人でした。子どもの頃は聖歌隊でアルトを歌い、その美声に感銘を受けた名家の夫人から経済的支援を受けたこともあったそうです。大人になってからは柔らかいテノールの声で歌い、リュートというギターのように弦を指ではじいて弾く楽器をよく演奏しました(イラスト参照)。それだけでなく、ドイツ語の讃美歌もたくさん作詞・作曲しました。


リュートを弾くルターと讃美歌を歌う子どもたち(Gustav Adolf Spangenberg



ルターの作った讃美歌としては、35曲が現在のドイツの讃美歌集(EG)に収められ(作詞だけのものや、共作のものを含む)、歌い継がれています。日本の『讃美歌21』という歌集には、そのうち10曲がとり入れられています。そのなかで、宗教改革記念日(1031日)によく歌われるのが『神はわが砦』です。同じ音を繰り返して始まる力強い歌で、1529年の讃美歌集で印刷・出版されました。その少し前の152728年頃、ルターは重い病にかかり、死を覚悟して妻と息子に別れを告げるほどでした。そんななか、苦難の時に必ず助け守ってくれる自分の砦としての神の存在を聖書(『詩編』46編)で読み、この讃美歌を書いたといいます。神への強い信頼を歌った讃美歌です。

この讃美歌は礼拝で歌われただけでなく、多くの作曲家の創作意欲を刺激してきました。たとえば、パッヘルベルやバッハはこの讃美歌の旋律を使ったオルガン曲を書きましたし、メンデルスゾーンは交響曲に、マイヤーベアーはオペラにこの旋律をとり入れています。

では、ルターは何故みずからドイツ語の讃美歌を書いたのでしょうか。それまでのキリスト教会では、歌はラテン語で歌われ、ラテン語の知識のない一般民衆には内容がよく分かりませんでした。また、教会の聖歌隊や聖職者が歌うのを信者は聞いているだけのことが多く、信者は言ってみれば受動的に礼拝に参加するのみでした。ルターは、信者ひとりひとりが神に向き合うことが大切だと考え、信者に理解しやすいように聖書をドイツ語訳しましたし、信者自身が歌うことで信仰も深まると考え、礼拝で信者が歌えるようなドイツ語の讃美歌が必要だと考えました。ヨハン・ヴァルターらの音楽家の力も借りて、礼拝にふさわしい讃美歌を増やしていき、そのようななかでルター自身もドイツ語の讃美歌を作詞・作曲したのです。

讃美歌を書くにあたっては、「歌詞も音符も、アクセントも旋律も、真の母国語とその抑揚から生まれなければならない」と述べて、ドイツ語に合った讃美歌を生み出そうとしました。ルターの書いた讃美歌は、ルターの書物や説教より多くの人を改宗させたと伝わります。ルターは、「私は、神学者になっていなかったら、音楽家になっていたに違いない」と言っています。彼は、音楽を「神の素晴らしい賜物」と考え、「私は音楽を神学に次ぐものとし、それに最高の称賛を与える」とも言って、礼拝のなかで音楽が果たす役割を重視しました。そして、讃美歌だけでなく、それまでのキリスト教会では使用が控えられてきた楽器の響きも積極的に礼拝にとり入れました。

「ドイツは音楽の国」というふうに聞いたことがある人も多いと思います。ドイツの作曲家としては、バッハやベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ワーグナーなど、多くの名前を挙げることができます。ルターの頃(16世紀)のドイツは、音楽のうえで主導権を握る国ではなく、イタリアやフランドル地方(ベルギー周辺)から音楽家を招いて他国の進んだ音楽をとり入れているところでした。ところが17世紀以降、ドイツはヨーロッパのなかでも非常に音楽の盛んな国になっていきます。一方、ルターの少しあとに宗教改革を行ったジャン・カルヴァン(15091564)は、礼拝での音楽の使用を最小限とし、カルヴァン派の広まったスイスやオランダでは、音楽はあまり発展しませんでした。つまり、ルターが礼拝で音楽を重視した姿勢が、ルター以降、ドイツで音楽が豊かに発展していく礎になったとも言えるのです。

11月の国際フォーラムでは、オルガニスト・指揮者の鈴木雅明氏にもお越しいただいて、コンサートで実際にルターらの音楽を聴きながら、ルターがドイツ文化に及ぼした影響を考えてみたいと思います。鈴木雅明氏は、バッハ作品の演奏などの功績でドイツ政府から勲章を授与されたほどの素晴らしい音楽家です。どうぞお楽しみに。

(木村佐千子 教授)

『神はわが砦』の楽譜