2017年11月21日火曜日

【学生記事】Zimmermann-Telegramm

こんにちは。学生記者のヨシタカです。

これまで2回に渡ってドイツの映画紹介をしてきましたが、今回は歴史という今までとは全く異なる分野に挑戦してみたいと思います。今回取り上げるのは、第一次世界大戦の戦局を大きく変えることとなった「ツィンマーマン電報(Zimmermann-Telegramm)」です。


アルトゥール・ツィマーマン


ツィンマーマン電報とは、第一次世界大戦中の1917116日、ドイツ帝国外務省から在ワシントンのドイツ大使館を経由してメキシコのドイツ大使館へ打たれた電報です。当時のドイツ帝国外相アルトゥール・ツィンマーマン(Arthur Zimmermann, 1864-1940)の名を取ってこのように呼ばれています。

 電報が打たれた19171月と言えば、第一次世界大戦勃発からすでに3年以上の時が流れ、列強は必死で膠着した戦線を打開する策を模索していました。戦車や飛行機といった新たな軍事技術の発達もこの一環であったと言えるでしょう。しかしこのような兵器開発も大抵はいたちごっこに終わり、結局戦争に終わりが見えないという状況は変わりませんでした。

これ以前にもドイツの敵であったイギリスは、決定打に欠けるこの戦争を終わらせようと幾度もアメリカを説得し戦争に加わるように求めています。しかし時のアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンはアメリカが中立を保ち、仲裁者として交渉によりこの戦争を終わらせることを望んだため、この要求を拒否しつづけていました。
ここより2年前の19155月、イギリス客船ルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈され128人ものアメリカ人犠牲者が出るという事件が起きます。さらにこの事件のわずか3か月後、イギリス客船アラビックがドイツ潜水艦により撃沈され、またも3人のアメリカ人が犠牲となる事件が起こっています。
これら事件によりアメリカ国民の対ドイツ世論は悪化し、またこれをチャンスと見た連合国はアメリカの参戦を狙って必死でプロパガンダを行いました。しかし当時の米大統領ウィルソンがアメリカの参戦には断固反対の姿勢を崩さなかったため、結局宣戦布告には至らず、ドイツ政府に対する抗議という形で収束してしまいます。しかしドイツはアメリカに配慮せざるを得なくなり、19159月、始めて間もなかった無制限潜水艦作戦(潜水艦による指定水域内にいる全ての船舶への無警告攻撃)を一時中止することなりました。とはいえ、これら事件をしてもアメリカを戦争に引き入れるには至らなかったのです。

 さて話をもう一度1917年に戻します。そんな状況の中、ルシタニア号事件より無制限潜水艦作戦を中止していたドイツは、戦争の膠着状態に見切りをつけるため191721日より再びこの無制限作戦を始めることを決定します。しかしまたも民間客船を撃沈してアメリカ人犠牲者が出れば、アメリカの参戦は避けられないと見たドイツ首脳部はある計画を立てます。そしてその内容が記された電報は暗号化され、1917116日、ドイツ本国より在ワシントンのドイツ大使館に向けて打電されました。これがいわばツィンマーマン電報です。


暗号化されたツィマーマン電報


 しかし暗号化された電報は、敵国であるイギリス側に傍受され、直ちに英国海軍省暗号局のもと瞬く間に解読されてしまいました。その内容はイギリスにとって衝撃的であり、同時にアメリカを戦争に引き入れる切り札になると確信させたのです。以下に原文と訳付きでご紹介します。

Wir beabsichtigen, am ersten Februar uneingeschränkten U-Boot-Krieg zu beginnen. Es wird versucht werden, Amerika trotzdem neutral zu halten. Für den Fall, dass dies nicht gelingen sollte, schlagen wir Mexiko auf folgender Grundlage Bündnis vor. Gemeinsame Kriegführung. Gemeinsamer Friedensschluss. Reichlich finanzielle Unterstützung und Einverständnis unsererseits, dass Mexiko in Texas, Neu Mexico, Arizona früher verlorenes Gebiet zurückerobert. Regelung im einzelnen Euer Hochwohlgeborenen überlassen. Euer Hochwohlgeborenen wollen Vorstehendes Präsidenten streng geheim eröffnen, sobald Kriegsausbruch mit Vereinigten Staaten feststeht, und Anregung hinzufügen, Japan von sich aus zu sofortigem Beitritt einzuladen und gleichzeitig zwischen uns und Japan zu vermitteln. Bitte Präsidenten darauf hinweisen, dass rücksichtslose Anwendung unserer U-Boote jetzt Aussicht bietet, England in wenigen Monaten zum Frieden zu zwingen. Empfang bestätigen. Zimmermann“
「我々は、21日をもって無制限潜水艦作戦を開始する。ここにおいてもアメリカの中立が保たれるべく、努力がなされるはずである。これが成功しない場合、メキシコに対して以下の基礎に沿った同盟を提案するつもりである。共同の戦争遂行。我ら両者の平和協定。潤沢な資金援助ならびにメキシコが過去に失った領土であるテキサスとニューメキシコ、アリゾナの再占領に対する理解。詳細の規定は貴殿らに一任する。上記の事柄はアメリカの参戦が決まり次第、直ちにメキシコ大統領に極秘で開示するとともに、メキシコが日本を戦争に引き入れ、我々との橋渡しをするよう示唆すること。同大統領には、容赦ない潜水艦攻撃がイギリスを数か月以内に和平に追い込むことになるということを指摘すること。受領確認を忘れずに。 ツィンマーマン」

 この電報に記されているテキサス、ニューメキシコ、アリゾナとは1846年の米墨戦争の結果、メキシコがアメリカに割譲した領土のことを指しています。ちなみにこの割譲によりメキシコは領土の1/3を失いました。
 つまりこの内容からわかるようにドイツ軍首脳が考えた作戦とは、仮にドイツの無制限潜水艦作戦によりアメリカがドイツに宣戦布告してきた場合、メキシコと日本をアメリカと戦わせることで、アメリカの矛先をヨーロッパ戦線に向けさせないというものだったのです。メキシコに対しては米墨戦争で失った領土を再占領できるというメリットをちらつかせ、それを資金や国際的同調といった面でドイツが支援すると述べています。メキシコが南から攻撃をかけ、それに日本が西海岸から攻撃を仕掛けてくるとなると当然アメリカはヨーロッパには手出しをする余裕がなくなり、そのすきにドイツは無制限潜水艦攻撃により数か月以内にイギリスを屈服させ和平交渉に持ち込む、という手はずでした。

 さて問題はこの解読された電報により、ドイツがどのような運命を辿ることになるかです。
 191721日、かねて電報で宣言されていたとおりドイツは無制限潜水艦作戦に踏み切りました。その翌日アメリカのウィルソン大統領はそれに対するアメリカの対応を決めるべく閣議を招集します。そこで出された結論は、ドイツ、イギリス双方の予想に反して「アメリカはそれでもなお中立を保ち、調停者としての位置に留まる」というものでした。
 しかし、ドイツに暗号を解読したことを悟られたくなかったイギリスは解読した電報というこの「切り札」をすぐに公表しませんでした。かわりにイギリスはメキシコの電信局にスパイを潜入させ、メキシコ側が受け取ったツィンマーマン電報を入手するという方法を取ります。傍受したものではなく現物を見せることで信頼性を高める意図もありましたが、そうすることでドイツに「電報はあくまでメキシコで漏れたものであり、その中間においてイギリスの暗号局はまったく関与していない」という印象を与えるためでした。
 入手された電報は、223日のイギリス外相バルフォアとアメリカ大使ウォルター・ページとの会見でアメリカ側に見せられ、ついにツィンマーマンの腹の内が明らかにされました。この電報は新聞にも取り上げられ、ドイツには断固報復すべきであるとアメリカの世論は沸騰します。しかしこの時点においてもアメリカ政府の態度は煮え切らないものでした。かねてからアメリカの参戦を望んでいたイギリスのでっち上げの可能性を疑ったのです。
結果から言うと、この疑いを晴らしてしまったのはツィンマーマン本人でした。この事件の発覚に際してベルリンで行われた記者会見の場で、彼は特に問い詰められた訳でもなかったにも関わらず、この事件が事実であることを公式に認めてしまったのです。またここでドイツ外務省はアメリカの手に渡った経路を調査しますが、メキシコにおいてなんらかの背信行為があったと結論しました。イギリスの暗号局の暗躍を疑わず、イギリスの計略にまんまとひっかかった形となりました。

 191746日、ドイツの計画を知ったアメリカ大統領ウィルソンはついに中立を捨てる決心をし、ドイツに宣戦布告をしました。その8日後の14日、メキシコ大統領ベヌスティアーノ・カランサはこの電報の提案を拒否し、ツィンマーマンの計画は事実上頓挫しました。
そしてこのアメリカの参戦が何を招いたかは、皆さんももうご存知のとおりです。アメリカ参戦から1年7か月後の19181111日、ドイツ帝国は降伏し第一次世界大戦にはようやく終止符が打たれるのです。



「手の中で爆発」
191733日『ニューヨーク・ワールド紙』に掲載

 この事件の面白いところは、数年に及ぶイギリスの外交的努力やルシタニア号事件も成し遂げることのなかったアメリカの参戦を、たった一本の電報が成し遂げてしまった点です。それも電報が打たれた216日から2ヵ月以内という比較的短期間にです。
 そしてルシタニア号事件といった伏線は多少なりともあったはずですが、やはりアメリカ大統領の決心を変え、最終的にアメリカを参戦に導いたのはこのツィンマーマン電報であったように思います。なぜ外相ツィンマーマンが公式に事実を認めてしまったかには多少疑問が残りますが…。

 今回はツィンマーマン電報事件という、歴史の教科書でもあまり目にしない事件について書かせていただきました。この記事でその存在や意義でも知っていただけたなら嬉しいです。執筆にあたっては、サイモン・シンの『暗号解読』を参考にさせていただきました。ちなみに暗号解読という観点から見た時、この事件にはもっと多くのドラマがあるようですが、ここでは割愛させていただきます。

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