みなさんはドイツ語を発信する際、ついつい日本語の発想に引きずられて不自然な、あるいは直訳したようなドイツ語を使ってしまうことはありませんか?もちろん間違うことはいいことです。それによって「気付き」の体験もできるのですから。ただし先生方も、常に間違いを指摘してくれるわけではありません。少人数クラスで、それまで気付かずに使っていた用法の誤りをはじめて指摘されたこともあります。ここにきて思うのは、やはりネイティブ・スピーカーの真似をしてみるのがかなりに有効だということです。1年間留学すれば上手くなる、と言いたくなる気持も分らないではありません。たしかに留学は上達への近道ですが、ここは一つ、回り道をしてみましょう。どの道を往くのも自由ですが、どの道にも発見というものはあるものです。
(Blut und Ehre: Geschichte und
Gegenwart rechter Gewalt in Deutschland.
Andrea Röpke/Andreas Speit (Hg.) )
語学学習における回り道の際たるものは、やはり読書でしょう。完全に受け身になる可能性もあります。ネイティブ・スピーカーの真似をするならドラマや映画があるじゃないか、とコメントされそうですが、今回はともかくも本に焦点を当ててみましょう。
私がよくやるのは、内容の硬い本と、口語がたくさん出てくる本を併読することです。そして使いたい、役に立ちそうな言い回しなどがあったら、日本語訳とともにカードに書いていく。あるいはSmartphoneに吹き込んでおく。こうなると回り道というより「地道」な作業です。実際に自分から発信するのではなく、理解はできるpassiver Wortschatz (受動語彙)になる部分もありますが、まったく役に立たないわけでもありません。では何を読むべきでしょうか?最初は興味のあるものを読めばいいのです。たとえば私は歴史に興味があるので、始めは120ページほどの、ムッソリーニの伝記を読みました。その後は極右主義の歴史と現在を扱ったBlut und Ehre: Geschichte und Gegenwart rechter Gewalt in Deutschland に挑戦しました。またドイツとは間接的に関連があるだけですが、私はチャールズ・ブコウスキーの作品が好きなので、独訳でそれらの小説を読んでいます。
(Aufzeichnungen
eines Dirty Old Man. Charles Bukowski)
ただし、作品の性質上、授業で使えないような表現もたくさん出てきます。また作家というのは特異な書き方をする傾向があるので、殊に翻訳では注意も必要です。直訳されたままであったら尚更です。実際に、セリーヌの『なしくずしの死』独訳版にあった表現をドイツ人に使って通じなかった経験もあります。話は戻りますが、そうかといって小説は翻訳ばかり読んでいるわけではありません。
(Like me. Jeder
Klick zählt. Thomas Feibel)
これは私のSprachpartnerin(余談ながら、言語学習Appで知り合い、現在はメッセンジャーアプリで時折やりとりしています)が13歳の頃、教材として読んでいたものです。青少年はSNSをどのように使っているか、そこにどのような問題があるか。そうしたことが議論になっていたので、この小説を読んでディスカッションをする授業が行われていたそうです。先の極右主義に関する本よりは読みやすく、何よりSNSに関する用語も頻繁に出てくるので、これは一読の価値があります。もちろんこれをもとに、日本の状況と比較して何かドイツ語で書いたり、議論したりすることも可能です。SNSがテーマになっている本を使った授業があったら、ドイツ語で発信する楽しみも増加するのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
そうこうしているうちに、紙数が尽きてきてしまいました。あまり本に熱中していると、今度はニュースを読む時間がなくなるというジレンマに陥ってしまいます。ドイツは多様性があり、そのためにまた問題もあるのだから、文化的、社会的な面も勉強したほうがいい。先ほどのSprachpartnerinにそう言われたことがあります。ドイツ語学科オリジナルサイトのリンク集にもニュースサイトが載っているので、みなさんもそうした面に目を向けてみてください。もちろん、Facebook でそれらのうちどれかを gefällt
mir して、ニュースが流れてくるようにしておくのもいいでしょう。
ちょうど時間となりました。ではまた次回、お会いしましょう。
Yuki Watanabe
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