私の専門は18~19世紀のドイツ文学です。この時代の文学について語るとき、避けて通ることができないのがゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe: 1749-1832年)です。彼は作家としても偉大でしたが、政治家としても有能で、自然科学に対しても旺盛な興味を示し、また、絵心なども合わせ持つマルチ・タレントでした。
そのゲーテの名を一躍有名にしたのが、小説『若きヴェルターの悩み』でした。法律家として自立するための研修で訪れた町ヴェッツラーでの、ゲーテ自身の体験をもとに書かれたこの小説は、たちどころに当時の若者たちの心をとらえ、またたく間にヴェルター・ブームが起こりました。ただ、内容的には、叶わぬ恋に絶望し身分制社会に失望した若者が自殺をするというもので、若者に悪影響を与える本として、例えばライプツィヒという町(ゲーテが学生時代を過ごした町ですが)では発禁処分になりました。
ゲーテの特徴をひとことで言い表すと、「目の人」(Augenmensch)です。とくに、彼とともにドイツ文学の黄金時代を担ったシラーという作家との対比で、このように言われることが多いです。ゲーテは非常に自然に近い人で、なんでも直感的に体感できたようで、例えば、植物の原型「原植物」(Urpflanze)なども「見えた」そうです。
さて、フランクフルト近郊の小都市ヴェッツラーは、ゲーテを抜きにしても世界的に有名です。ある特定の趣味を持っている人にとっては、まさに聖地と言えるでしょう。それが、Leica「ライカ」です。カメラの代名詞とも言えるライカを生んだエルンスト・ライツ社が、この町にあったのです。最初の試作品「ウア・ライカ」(Urleica)が誕生したのは1913年。ただし、第一次世界大戦勃発のため、実際に販売が始まったのは1925年からです。このいわゆるバルナック型ライカに、その後いろいろと改良が加えられて、1954年に究極のレンジ・ファインダーカメラ、M型ライカ(M3)が完成します(M3については、T.K.さんのブログに写真が載っています)。
これはカメラ業界にとっては歴史的な事件でした。特に、「ライカに追いつけ・追い越せ」をスローガンに発展してきた日本のカメラ・メーカーは、M3の完成度の高さに圧倒され、レンジ・ファインダーカメラから一眼レフ中心の路線へと、軌道修正を迫られることになったわけです。
ゲーテ没後80年経って、ゲーテゆかりの地ヴェッツラーで生まれたライカ。「目の人」と言われ、色彩論なども著していたゲーテが、もしこのライカを手にしていたら!彼の世界観はどのように変わっていたか?また逆に、ライカや写真のその後の発展に、ゲーテはどんな影響を与えることができただろうか?たまにこんなことを考えて、1人でウキウキしています。
S.W.
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