2016年7月29日金曜日

Aktivist


Wegner in den 1910er JahrenQuelle:Wikipedia(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Armintwegner1890s.jpg/380px-Armintwegner1890s.jpg)



 人の一生を変える出来事、Wendepunkt(転機)というのは幸いでもあり災いでもあります。しかしそうした出来事によって信念を持つようになるのなら、それはそれで素晴らしいことではないのでしょうか。たとえその信念によって苦難を強いられることになったとしても。ヒトラーに異を唱えた人物としてまず思い浮かぶのは、やはりSophie Schollかと思います。今回は視点を変えて、ユダヤ人迫害に反対した Armin. T. Wegnerを取り上げてみましょう。

 Armin. T. Wegner(1886-1978) がヒトラーに抗議の手紙を書くまでにはもちろん、契機となる出来事がありました。第一次世界大戦中、Wegnerはドイツ衛生部隊のSanitätsunteroffizier(衛生部下士官とでも訳せるでしょうか)として、同盟国であったオスマン帝国に派遣されます。1916年、Wegnerはアナトリア東部でオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を目の当たりにすることになります。写真を撮ることは禁じられていたにもかかわらず、Wegnerはその様子を撮影し(逃亡中に命を落とした人々の姿も、Wegnerのカメラは捉えています)、そしてそのときの一連の記録写真は Armenian National Instituteのサイトに載っています。バイオグラフィーもありますが、関心のある方はウィキペディアの記述も読んでみてください。リンクも充実しています。
やはりこれが転機となったのでしょう。大戦後、Wegnerはパリ講和会議に臨むアメリカのWilson大統領に宛てて、1通の手紙を出しています。アルメニア独立のために尽力するよう求めたのです。思うに、こうした体験が人道活動家としてのルーツとなり、後のヒトラーに対する抗議へとつながったのでしょう。

  „Herr Reichskanzler!“ Wegnerがヒトラーに宛てた、ユダヤ人迫害に抗議する手紙はそのようにして始まります。下書きとも言える „Für Deutschland! Offener Brief an die Führer der erwachten Nation, zu Händen des Herrn Reichskanzlers Adolf Hitler“ は、後の完成版と比較して、やはりWegnerが真実書きたかったことが前面に押し出されているように思われます。実際に出された手紙、 „Die Warnung Sendschreiben an den deutschen Reichskanzler Adolf Hitler“ では削除されているのですが、ユダヤ教の教典タルムードの一節が引用されています。曰く、„Verdamme nicht deinen Nächsten, bevor du in seiner Lage warst.“(Wegner. S.136) 。そしてここから先は完成版も同様ですが、Einstein EhrlichRathenau(Waltherの父) などの名前を挙げ、いかに彼らがドイツに貢献したかを書き連ねます。
                         


                        










  (Rufe in die Welt:
                 Manifeste und Offene Briefe)



 Wegnerが正しかったことを証明するような訴えも、手紙には書かれていました。
„Herr Reichskanzler! Schützen Sie Deutschland, indem Sie die Juden schützen!“ (Wegner. S. 146)
この後、Wegnerは逮捕されるのではありますが、研究報告を読むと、手紙と逮捕の間に関連があったとは必ずしも言えない、と書かれています。

以上引用も踏まえて書いてきましたが、私が思うのは、やはり無関心は罪であるということです。ヒトラーはそうした無関心を計算に入れ、ポーランド侵攻を前に「誰が今日なおアルメニア人虐殺を口にするだろうか?」と発言しています。 暴力行為が行われている中、傍観者でいることは何を意味するのか。Wegnerの文章はそう問いかけているかのように思えてきます。

Yuki Watanabe


今回参考にした資料・HP
Esau, Miriam/Hofmann, Michael(Hg.), Wegner, Armin.(2015) Rufe in die Welt: Manifeste und Offene Briefe. Göttingen: Wallstein Verlag. (Wilson大統領に宛てた „Brief an den Präsidenten der Vereinigten Staaten“ も収録されています)
Armenian National Institute (http://www.armenian-genocide.org/ )
Armin T. WegnerWikipedia (https://de.wikipedia.org/wiki/Armin_T._Wegner )
Benz, Wolfgang.(2016) Aghet und Holocaust. (http://www.bpb.de/geschichte/zeitgeschichte/genozid-an-den-armeniern/218115/aghet-und-holocaust ) (Bundeszentrale für politische Bildung)



2016年7月21日木曜日

討論会「演劇についての新たな考察:劇作家・演出家 岡田利規氏を迎えて」(東京ドイツ文化センター)

(画像はゲーテ・インスティトゥートHPより)

 今年の3月より、ゲーテ・インスティトゥート東京ドイツ文化センターにおいて、「演劇についての新たな考察」という討論会シリーズが開催され、毎月新たにゲストを迎える形で、多方面から劇場や演劇の社会における役割や存在意義、現代の演劇・新たな演劇の形を模索するイベントが開催されています。

 今回のゲストは、日本だけでなく欧州を中心に世界で活躍する演劇ユニット「チェルフィッチュ」の主宰で、劇作家・演出家の岡田利規氏が招かれます。
チェルフィッチュについてはこちら

以下、東京ドイツ文化センターのイベントページより〜
〜〜〜〜〜
今回は、演劇ユニット、チェルフィッチュを主宰する劇作家で演出家の岡田利規氏をお招きします。岡田氏の戯曲作品と演出はその独特の言語・身体表現により国内で注目を集めたのち、世界中の劇場やフェスティバルで客演や共同制作を活発に行い、各地で大きな反響を呼んでいます。

 そして今年6月には、ミュンヘンのカンマーシュピーレの俳優と共に、ドイツ語版『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』の初演が行われ、現地でも高い評価を受けました。今回は、岡田氏自身にミュンヘンでの制作を振り返って、そこでの発見や確認、今後も続くカンマーシュピーレでの仕事への抱負などを語っていただきます。加えて、通訳・ドラマトゥルクとして関わった山口真樹子さんにも参加いただき、演出家とは違った視点からミュンヘン公演を振り返っていただきます。

司会は演劇批評家の徳永京子さんです。
〜〜〜〜〜

 上で言及されているように、岡田氏の作品『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶(Hot Pepper, Air Conditioner and the Farewell Speech)』はミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場(Münchner Kammerspiele)でレパートリー作品として上演され(プレミア:6月24日)、2016/17シーズン以降も上演される予定です。
同劇場での作品紹介ページはこちら

 この他にも、彼の主宰する劇団チェルフィッチュとしても、5月には、今年3月に発表したばかりの新作『部屋に流れる時間の旅』が、海外ツアーとして、上述のミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場の他、フランクフルト、ユトレヒト、ブリュッセルで客演されました。
『部屋に流れる時間の旅』
さらに6月には、ブラウンシュヴァイクで開催された国際舞台芸術祭Festival Theaterformenに参加し、こちらでも昨年、日韓共同制作作品として日本で初演された『God Bless Baseball』が上演されています。
『God Bless Baseball』(写真はいずれもチェルフィッチュHPより)

 筆者もベルリン滞在中の2014年に、ベルリンHAU(Hebbel am Ufer)劇場で開催された、フクシマをテーマにした演劇・パフォーマンス・フェスティバル「ジャパン・シンドローム」の一環で、同劇団の福島原発事故に基づいて制作された『現在地』と、当時ドイツで世界初演された『スーパープレニアムソフトWバニラリッチ』を観劇しましたが、彼らの独特な世界観が映し出された演技や作品は、ドイツの方々にも好評でした。

 彼らの上演は基本的に日本語で行われるため、海外公演の際には字幕が添えられており、言葉の面でハンディキャップを負っているのですが、それでも彼らが欧州を中心に活動・活躍できる秘訣を聞ける良い機会ではないでしょうか。
 興味のある方は是非!
詳しい情報はこちら

2016年7月15日金曜日

【学生記事】オーストリアの国民的英雄プリンツ・オイゲン―レジェンド・オブ・フランス絶対倒すマン


ウィーンの名所ベルヴェデーレ宮殿は、皆様も耳にしたことがおありでしょう。現在では、クリムトやシーレなどウィーン世紀末の画家の作品などを所蔵する美術館となっているこの宮殿の主を、皆様はご存知でしょうか?


〈グスタフ・クリムト「接吻」〉
 彼こそ、今回ご紹介するプリンツ・オイゲン(画像下)。17世紀に生まれ、類まれな天才軍人として活躍した彼は、ナポレオンをして、古今東西の名将7人のうち1人に数えられました。そして今日なおオーストリアの国民的英雄として敬愛されており、ウィーンの王宮には彼の銅像が立っています。




今回の記事では、そんな彼の生涯について紐解いていきたいと思います。
 けれどその前にまず、オイゲンが生まれた時代のオーストリア情勢についてお話しさせていただきましょう。
 時は17世紀半ば過ぎ。この時代、オーストリアは、1648年に終結した三十年戦争により荒廃し、大きく疲弊していました。ここで登場するのが、オスマン帝国。彼らはこれまで、ヨーロッパへ攻め入り、版図を西側へ拡大する機会を虎視眈々とうかがっていました。そして、オーストリアが弱体化している今がまさに好機とばかりに、1683年オーストリアに侵入し、ウィーンに向かって進軍します。第二次ウィーン包囲の始まりです。オーストリア、ピンチ。
 一方その頃、フランスでは、ある一人の青年がフランス国王の元を訪れる途にありました。この青年こそが、今回の主役プリンツ・オイゲンです。フランスの貴族、サヴォイア=ソワソン家の五男として1663年にパリに生まれました。オイゲンは、五男という生まれの上に小柄だったこともあり、聖職者になるよう周囲から勧められていました。しかし彼自身は、少年時代に読んだアレクサンダー大王の伝記に感銘を受けて以来、軍人として身を立てることを強く望んでいました。
 そして長じたのちフランス王ルイ14世に軍人として志願をします。しかし、このルイ14世という男、人の見た目を非常に重視する人物で、青白い顔をした小柄なオイゲンの申し出を撥ねつけてしまいます。
 しかし、これこそがフランスの大きな、取り返しのつかない失敗だったのです。
 ルイ14世に断られたオイゲンは失意の中、「もう二度とフランスには戻るまい」と誓い、今度はなんとフランスの宿敵オーストリアへと向かいます。折しもウィーン包囲という危機のただ中にあったこともあり、当時の神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世は、彼を自らの軍に加え入れます。そして、夢だった軍人になるが早いが、オイゲンはめきめきと頭角を現し、オスマン帝国軍を次々と撃破していくのです。中でも特筆すべきは、彼が指揮した1697年のゼンタの戦いです。この戦いは、もともとオーストリア軍3万に対し、オスマン帝国軍8万というオーストリア不利の状況で始まりました。しかし彼の指揮により最終的に、オーストリア軍の死者429人、オスマン側の死者3万人という圧倒的勝利に幕を閉じます。この敗北は、オスマン帝国軍に決定的なダメージを与え、オスマン凋落のきっかけとなります。それに対し、イスラム勢力からオーストリアを救ったオイゲンは、一躍キリスト教世界の英雄の地位に踊り出ました。この時オイゲン、弱冠34歳。すごいよオイゲン!!
 それからも、オーストリアを襲う幾多の危機を、オイゲンはその豪腕でもって打ち払います。次なる活躍の場となったのは、スペイン国王の座を巡るオーストリアとフランスの争い、スペイン継承戦争。オーストリア軍であるオイゲンは、皮肉にも祖国フランスと争うこととなったのです。けれど、彼は容赦しませんでした。まず、指揮官として派遣されたイタリアで、フランス軍と対戦、次いで南独においてフランス軍を打ち負かし、ネーデルラントでも勝利を得るなど連戦連勝を重ねていきます。オイゲンの天才的な指揮能力を前に、フランス側には「あいつらには悪魔がついているに違いない」と言う者さえいた程だったそうですよ。この時、若き日のオイゲンを突っぱねたルイ14世は未だ存命。彼は、オイゲンの活躍に何を思ったのでしょうか()
 もっとも、スペイン継承戦争の結末自体は、同盟を組んでいたイギリス、オランダの離脱や皇帝の崩御などの不運が重なったためにオーストリア側の敗戦に終わってしまいます。しかし、オイゲンの功績により、ネーデルラント、イタリアの一部はオーストリアが勝ち取ることが出来ました。彼なしでは、これらの獲得はありえなかったでしょう。
 さて、数々の軍功により、オイゲンはオーストリアから莫大な褒賞金を得、ヨーロッパでも指折りの富豪に上り詰めます。そして、またこれこそオイゲンが国民的英雄と敬愛される所以、彼は資産を贅沢のために浪費せず、芸術品や貴重書などを収集するために使います。当時、貴族の社会的な役割は、芸術家の支援を通じての文化振興、価値ある美術品や書物を収集し、後世に伝えることとされていました。彼は軍事面だけではなく、文化面でもオーストリアに多大な貢献を果たしたのです。前述のベルヴェデーレ宮殿は彼が後世に遺した遺産の中でも、もっとも重要なものでしょう。この華やかな宮殿は、オイゲンの夏の離宮として建てられたバロック様式の建築で、ウィーンの観光スポットとして人々の目を楽しませています。オイゲンはもともとフランス貴族、幼い頃からベルサイユ宮殿に出入りし、一流の芸術品に囲まれて美術に対する審美眼を養ってきました。そのため、彼のコレクションは非常に洗練されたものが揃っています。その他にも、オイゲンは各国から珍しい動植物を集め、宮殿で飼育していました。
 1736年、オイゲンは自邸で友人らを招いて食事会を開き、その夜、72歳の生涯を閉じました。ちょうど彼が亡くなった時、彼の大切にしていたライオンが庭で数回吠え声を上げたと言われています。
 軍人としてだけではなく、芸術の保護者としてオーストリアに生涯尽くしたオーストリアの英雄プリンツ・オイゲン。その生き様から、「プリンツ・オイゲン 高貴な騎士」という詩がホフマンスタールにより記されました。

2016年7月11日月曜日

夏季休業期間のドイツ語圏関連のイベント

夏の日差しとともに、定期試験の実施期間が近づいてきました。
定期試験・レポートの提出を無事に終えたら、待ちに待った夏季休業期間です。
授業期間では時間がとれない方や、夏季休暇中もドイツ語圏を感じたい方のために、東京周辺で参加できる夏季休業期間のドイツ語圏関連のイベントや企画をまとめます。
※夏季休業期間に入っていないものもあります。


よみがえれ!シーボルトの日本博物館
開催期間:2016年7月12日(火)〜9月4日(日)
場所:国立歴史民俗博物館
費用:大学生 450円

真夏の夜のダンスパーティー

日時:2016年7月23日(土)19:00 ~ 22:00場所:駐日ドイツ連邦共和国大使館 アトリウム
会費: (公財)日独協会会員/ ドイツ語圏の方 3,000 円その他 4,000円
会費には、ビュッフェとソフトドリンクは含まれます。
(アルコールは有料でご提供します)
参加資格:40歳以下の方
申込締切:2016年7月15日(金)まで

第18回全国高校生ドイツ語スピーチコンテスト
日時:2016年7月31日(日) 12:00〜
場所:獨協大学
入場自由・無料
激しい予選を通過した高校生によるドイツ語スピーチコンテストです。


芝オクトーバーフェスト
開催期間:2016年8月17日(水)〜11月28日(日)
場所:芝公園 集合広場
(アルコールの出るイベントです)

トーマス・ルフ展
開催期間:2016年8月30日(火)〜11月13日(日)
場所:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
費用:大学生 1200円(前売り 1000円)


他にも様々な催し物があります。
夏季休業という授業に縛られない期間、普段はできないことに挑戦してみてはいかがでしょうか。


2016年7月8日金曜日

Rimini Protokoll "Adolf Hitler: Mein Kampf, Band 1 und 2"

 昨年の12月31日をもって、アドルフ・ヒトラーの著作『わが闘争』の版権が切れるということで、ドイツでは長らく議論が展開されてきました。戦後、この著作のドイツでの印刷・刊行は一切が禁じられ、版権はヒトラーが最後に住民票を置いていたバイエルン州が保有するということで、これまではこの著作が世に出るのを抑制してきました。

 版権が切れた後、どうするのかということについては、今年の1月にドイツの歴史学研究所が他分野の専門家を集めて、膨大な注釈を付けた上で「史的批判版(historisch-kritische Ausgabe)」として出版するということで、一つの答えが出されました。ただ、この版は印刷媒体としての刊行に限定するのか、デジタル版の無料配布はしなくて良いのか等、まだまだ議論は続いている状況ではありますが。

 
 Edition "Hitler. Meinkampf" Eine kritische Edition. Bd. I & II. Herausgegeben von Institut für Zeitgeschichte. München, Berlin, 2016.

 この版は、発売前から注文が殺到し、年明けの発売後(1月8日)、瞬く間に品切れとなりました。ドイツでは、報道番組のインタビューなので、街中の人々の様々な声が紹介されました。
 この版については、以下歴史学研究所のリンクをどうぞ。


 この夏には、ライプツィヒのシェルム出版なる出版社が注釈のないものを新たに刊行しようとしており、今後どうなるのか注目の話題です。



 さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回のブログでは、このテーマを扱った演劇作品を紹介したいと思います。近年、ドイツで注目を集めている演劇集団(演出家集団)リミニ・プロトコルというグループが昨年9月に、ヴァイマールにあるドイツ国民劇場(Deutsches Nationaltheater Weimar)との共同制作で、この『わが闘争』の舞台化が試みられました。
 このリミニ・プロトコルは、ギーセン大学応用演劇学科出身の3人の演出家たちからなるグループで、彼らの作品にはプロの俳優は登場せず、日常世界から集められた、作品テーマに関連のある「エキスパート」たちが出演します。日本でもこれまで3度、来日公演が行われました。同作品においても、『わが闘争』と何らかの関連を持つエキスパートたちが登場し、自身とこのヒトラーの著作との体験が語られます。
 同作品は2015年9月にヴァイマールのドイツ国民劇場で世界初演され、その後ドイツ各地で上演されています。筆者は昨年10月にミュンヘン(カンマーシュピーレ劇場)で、今年1月にベルリン(HAU劇場)にて、同作品を観劇し、また上演後のトークなどにも参加してきました。

 この度、同作品がラジオ劇(放送劇)版が制作(録音)され、WDR3でラジオ放送されました。現在、同番組のウェブサイトにて、期間限定で視聴することができます。約54分と少し長く、会話も通常のスピードで展開するため聴解は楽ではないですが、このホットなテーマに関するドイツの人たちの生の声が聴ける貴重な機会なので、是非一度聴いてみたらいかがでしょうか。
同放送のリンクページ

 同作品について、筆者の観劇体験に基づく詳しい記述は、またの機会に譲りたいと思いますので、お楽しみに。








2016年7月4日月曜日

【学生記事】楽ちん&オシャレ? ビルケンとGemütlichkeit

 Hallo, zusammen! 最近暑いけどみなさんお元気ですか?今回はそんな暑さにもちょっと関係あるかもしれない(?)オシャレがテーマです。ドイツとオシャレ…あまり結びつかないイメージかもしれませんが(ちょっと失礼?)、時代が変わればオシャレも変わる。そんな中、今求められているものとはなんなのか?という切り口で、今回は記事を書いていきたいと思います。
 
 まずはタイトルにあるドイツ語の解説からいきましょう。
 Gemütlichkeit...とはドイツ語で「心地よさ」という意味です。ゲミュートリッヒカイト。「なんだか強そうなドイツ語ランキング」があったら上位に食い込みそうなこの言葉ですが(1位はおなじみ「クーゲルシュライバー」かもしれません)、gemütlich…心地よい、という意味の形容詞を名詞化したものです。

 そしてこの“Gemütlichkeit“という概念は、ドイツ人の生活に強く根付いています。たとえばドイツに興味のある人なら一度は聞いたことのあるドイツ人の長期休暇、これがまさしく一例です。なんとドイツ人の平均有給休暇日数は30日!しかもたいていの人はこれを夏の1ヶ月でまとめて取り、バカンスに出かけます。文字通りの夏休みですね(実はそのような環境は「休暇の最低日数に関する法律」によって守られているので、またここもドイツらしいというか)。

 すなわち、学生であれ社会人であれ、のびのびと暮らしたい!体にも心にも快適な生活がしたい!という考えが、ドイツ人の暮らしを作っているというわけです。


 さて、それがオシャレとどう結びつくのか、ということで、ここで登場するのがタイトルにある「ビルケン」です。ファッションに興味のある方なら知っているのではないでしょうか?ビルケン、正式名称Birkenstockは、ドイツの靴メーカーで、最近流行りのフラットサンダル(その名の通り、ヒールのないスポーツサンダルみたいなもの)のパイオニアというような存在です。






                 ↑参考写真です。公式カタログより。

 写真の足元に注目していただくと、確かに最近こういうサンダルを履いている人が多いような気がしますね。


 さてこのBirkenstock、普遍的なデザインもさることながら、一番のこだわりは外側からは見えないところにあるのです。それが「フットベッド」。つまり足の裏が触れる面のことです。


 


 なんとなく、人間の足型に合わせた作りになっていますよね。

 このフットベッド、ドイツ語だとFußbettですが、意味はそのまま足のベッド。これが開発されたのはなんと1900年代で、100年以上の歴史があります。さらにルーツ自体は1774年にSchuhmeister(靴職人)の称号を獲得したJohann Adam Birkenstock というドイツ人にまでさかのぼるのだとか!

 木製や金属製のフットベットが主流だった当時、より足のこと、履きやすさを考えたものを作ろう!という思いから生まれたものらしいです。


 ここから見えてくるのがGemütlichkeit、心地よさなんじゃないかなと思います。フットベッドという言葉を見ても、靴を履いている時でもベッドにいるかのように心地よく、というような意味合いも含まれているのではないか、と思ってしまいますね。


 ただこのBirkenstock、今でこそ老若男女問わず、オシャレなアイテムとして認知されていますが、数年前まではただの「健康サンダル」というような位置付けだったみたいです。というのも去年の今頃、友達のドイツ人に「今日本ではビルケンが流行っているよ」と言った時、その友達が返した言葉が、

「えっ、おじいちゃんの靴だよ?」だったんですね(流暢な日本語で言われました)。

 さすがにおじいちゃん限定ではないと思いますが、ブームを巻き起こす前のビルケンは、おそらく「オシャレより履きやすさ重視の人が選ぶ楽ちんなサンダル」というような位置付けだったのではないのでしょうか。


 となると、なぜビルケンのようなサンダルが今流行っているのか?その答えはきっと、「オシャレ」というありかた自体が変わってきているから、というような要素があるのではないでしょうか。

 「オシャレは我慢」、ひと昔前まではよく耳にする言葉でしたが、最近見かけません。その原因も、暑いのも寒いのも痛いのも我慢をして、綺麗に見せる…というような価値観が、だんだん薄れてきているからかもしれません。

 オシャレで、かつ心地よく。または「心地よい」ということがオシャレなのだ、という感覚がどんどん一般的になっているのだとしたら、ドイツのGemütlichkeitもまたオシャレの第一線をいくのでは?!


 と、こんなまとめになりましたが、Gemütlichkeitとオシャレはきっと日本でもどこかで両立しているはず。心地よくない湿気に包まれた7月の日本でも、周りを見渡して少し考えてみてはいかがでしょうか?

Marktbrücke

2016年7月1日金曜日

リーディング公演『ロッコ・ダーソー(Rocco Darsow)』



 東京ドイツ文化センターにて、リーディング公演という形で、現代のドイツ演劇作品『ロッコ・ダーソー』が紹介されます。同作品が初演されたハンブルク・ドイツ劇場(Deutsches Schauspielhaus Hamburg)に所属し(同作品にも出演)、ドイツの演劇シーンで活躍されている原サチコさんが翻訳と演出を担当し、ご自身も出演されます。



『ロッコ・ダーソー』(原題:Rocco Darsow)
作:ルネ・ポレシュ(René Pollesch)
(初演:2014年12月12日)
翻訳・演出:原サチコ

2016年7月30日/31日 各日とも16:00 開演  
ドイツ文化会館ホール /日本語上演
前売り:一般1500円、学生1000円(当日券:各500円増し)
Peatix (http://goethe.peatix.com/) お問合せ  03-3584-3201



 『ロッコ・ダーソー』は現代ドイツ演劇を代表する作家・演出家のルネ・ポレシュの作品で、インターネット時代の恋愛を、交錯する現実と想像と象徴の世界を舞台に描いた作品。2014年12月にハンブルク・ドイツ劇場でに初演が行われました。今回のリーディング公演は、ハンブルクでの初演にも出演している原サチコが翻訳を手がけ、同じ役を演じます。 出演:木内みどり 古舘寛治 安藤玉恵 原サチコ
(ドイツ文化センターより)

詳しくはこちら
Facebookイベントページはこちら


 同作品は、ドイツ・ハンブルク劇場にて現在もレパートリーとして上演されています。同劇場HPには、作品紹介ページもあり、上の写真の他にもいくつか写真が掲載され、メディアの声も紹介されています。(作品ページにはこちらからどうぞ)


 この機会に、現代ドイツ演劇の売れっ子の作品に触れてみてはいかがでしょうか?