2018年11月12日月曜日

【学生記事】「ナチス政権下のドイツの音楽」

 Guten Tag!!
 オクトーバーフェストも終わり、すっかりクリスマスマーケットの季節になってしまいましたね。日本のパン屋でも、シュトレンを販売するところが増えていますね。

 さて、今回はナチス政権下の音楽について、3人の音楽家に焦点を当てて執筆します。

 まずは、リヒャルト・ワーグナー。

 彼は1883年に死去しているため、直接的にナチスに関与はしていませんが、彼の反ユダヤ主義的思想は、のちのアドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッベルスに影響を与えました。ワーグナーの音楽が彼らによってナチスのプロパガンダに利用されました。


Wikipediaより



 そのため、イスラエルでは長くワーグナーの楽曲の演奏がタブーとされていました。しかし、2001年イェルサレムで、ダニエル・バレンボイムの指揮でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の一部が演奏されました。
 ワーグナーの芸術がより多くの人に、親しまれてほしいですね。


 つづいて、リヒャルト・シュトラウスです。
 「ツァラトゥストラはかく語り」や「ドン・ファン」など、数々の交響詩を書き上げた彼は、ナチスへ協力したといわれています。


Wikipediaより


 リヒャルト・シュトラウスは、第三帝国の帝国音楽院の総裁として、当局の要請を受けながら作曲活動をしていました。第二次世界大戦後、彼は連合国の裁判にかけられましたが、無罪となりました。
 彼の孫がユダヤ人だったことから、家族を守るために親ナチスとなったともいわれています。彼もナチスに利用された側だったのかもしれませんね。


 最後はヴィルヘルム・フルトヴェングラーです。
 1920世紀に生きた大指揮者である彼も、帝国音楽院の副総裁でした。


Wikipediaより


 フルトヴェングラーはヴァイマル共和制下のころからたびたび指揮台に立ち、ナチスが政権を取ったのちも多くの式典で指揮をしました。彼はユダヤ人の音楽家も進んで招こうとしましたが、ヒトラーやゲッベルスをはじめとする多くの宰相にその指揮が気に入られたこともあり、終戦間際まで亡命はしませんでした。終戦後、一時演奏禁止処分を受けましたが、裁判で無罪判決を受けました。


 ナチス政権下の時代には、他にも多くの音楽家が活躍しましたが、いずれも体制に利用されたり、亡命したりと、影響は小さくありませんでした。社会情勢の視点から芸術を見てみるのもまた面白いですね。

 次回はドイツを代表するあのテクノミュージック集団について執筆します。お楽しみに!!

 それでは、Tschüss!!
小林尚暉

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