オーストリアに魅せられた日本人/斎藤 翼さん(2010年卒)
今日、海外で働く日本人は少なくありません。その中には出張で赴任された方々も多くいることでしょう。その一方で、自主的に海外で働き、生きることを決めた人たちもいます。その中の一人が斎藤翼さんです。交換留学を決心してからは他学科からも授業を大量に取ったり、家庭教師とともにドイツ語を猛勉強したりと、目標に向けての奮闘が続きます。斎藤さんは2010年に本校を卒業した後(アルブレヒトゼミ)、オーストリアのウィーン大学に入学、修士課程で翻訳学科(日・独・英)を専攻されました。斎藤さんの情報によると、翻訳学科のような言語系はC1が必要で、他の学科であればB2で入学できるとのことです。在学中も日本大使館でのインターンシップ、オーディオガイド翻訳と、精力的に活動。ウィーン大学卒業後はオーストリアの現地手配会社Japan Tyrol Coordinationに就職、ランドオペレーターとして勤務。その後現在に至る。と履歴書のような書き方をしてしまいましたが、それはともかく、インタビューをとおして斎藤さんの素顔に迫っていきましょう。
「現在の仕事とそこに至る道程」
渡辺:まず、ランドオペレーターとはどんな仕事をするのか、簡単に説明をお願いします。
斎藤:日本の旅行会社ができない手配を代行する仕事です。専用車(バス)やホテル、ハイキングガイドや市内ガイド、レストランなども手配します。ちなみに飛行機の手配はやりません。だから「ランド」なんですね。
渡辺:通訳とは根本的に異なるのですか。
斎藤:そうですね、ランドオペレーターとは違います。ただ基本的に日本の会社を助ける業務をすべて引き受けているので、うちの会社ではやりますよ。例えば一つツアーを組む場合、先ほど言った手配はもちろん、お客さんが現地に来てからのケアもあるわけです。オーストリアはドイツ語圏ですから、通訳およびアシスタントは頻繁に必要になります。
100%必要になるのは怪我をしてしまった場合ですね。またテレビの取材が来たときには必ず通訳をつけます。
渡辺:オーストリア独特の単語なども通訳者には必要になりますね。
斎藤:もちろんです。発信の際にはいりませんが、受信の際は知らないと分らないですからね。特にチロルは難しいですよ。
渡辺:どのようにそういった単語を覚えていくのですか。
斎藤:現地の人と話していくしかないと思います。オーストリア語、あるいはチロル語の辞書なんかもありますが、やはり生きた単語ではないので。でもやはり、完璧にはならないので通訳にはある程度ハッタリが必要になってきます。飽くまで個人的な意見ですが、この能力は通訳上級者になるほど上手くなると思っています。同時通訳なら尚更です。
渡辺:そちらの大学で学ばれた通訳は、やはり徹底したものでしたか。
斎藤:翻訳学科だったので、通訳は基本的なことばかりでした。それでもけっこう濃密でしたね。どういった通訳があるのかから始まり、最終的には同時通訳もやらせてもらえました。技能がないと結局、同時通訳はできませんからね。同時通訳はどのように行われているのか、ということを研究している学者さんも多くいるようです。
渡辺:素朴な疑問ですが、どの言語に訳されていたのですか?
斎藤:通常は同時通訳ではないのですが、ドイツ語、英語、日本語です。日本人は自分だけでしたので、基本はすべてドイツ語、英語でした。
渡辺:やはり英語は必須というわけですね。
斎藤:構造が似ているので楽といえば楽でしたが、それ以前に翻訳通訳学科は3言語必須なので、これしか選択肢がありませんでした。通訳の先生が言っていましたが、「母国語と第一外国語は発信も受信も100%できるようにならなければいけない。第二外国語は受信だけでも100%にしなければいけない」ということです。
渡辺:斎藤さんはなぜその職業を選ばれたのでしょうか?
斎藤:現実的な話になりますが、一番はビザの問題ですね。オーストリアは国内で修士学を修めた人に、大学で学んだことを活かせる職業に就いたらビザを出すという法律があるんです。もちろん給料など細かい規定もありますが、そうでないとなかなか労働ビザは出ないと聞いています。
この話題になるといつも言う文句があるのですが、オーストリアで就職活動をする場合、会社はビザを持っていない人は雇わない、けれどもビザを取得するためには仕事が無ければいけないという決定的な矛盾があるんです。
渡辺:なぜか「ケーペニックの大尉」を連想してしまいました。
斎藤:ドイツは大きいので問題はありません。オーストリアで就職できなかったらドイツへ行こうと思っていました。
渡辺:現地の大学在学中にドイツ語圏での就職を考えていたのですか。
斎藤:そうですね、大学卒業が近づくにつれて薄々は。これだけ留学したからには、最初の数年はドイツ語を使った仕事がしたい、と思っていました。
渡辺:現地で働くからには語学力も当然必要になってくると思いますが、それ以外に重要となる「何々力」といったものには何が挙げられますか?
斎藤:オーストリア人気質にあわせなければならない場面が多いので、忍耐力でしょうか。例えばヨーロッパ人はUrlaub、つまり休暇を取ることで有名ですが、担当のホテルスタッフが日本人の団体が泊まっているにもかかわらず、急に休暇に出たりします。四つ星ホテルでも、あなたがいない間大変だったと言うと、法律で休暇を取らないといけないって決まってるのよ、と言ってくるんです。またハイキングガイドなどは夏が書き入れ時なのですが、8月に堂々と一ヶ月休暇に行ってしまう人もいます。
ただ忍耐力がいるのは、会社が日本人を相手にしているからであって、その中に入るのであれば、休暇は逆に魅力的ですよ。法的に一ヶ月も休暇を取らなければいけないんですから。日本の会社に勤めていたら、まずないと思います。
言い換えれば、忍耐力がいるのは日本人の基準をオーストリア人に求めているからです。こう言うと語弊があるかもしれませんが、日本人は注文が多く、求める基準も高いんです。
渡辺:アルブレヒトゼミはオーストリアと関連のある部分も多々あるようですが、留学先をオーストリアに選ばれた理由もそこにあるのですか。
斎藤:獨協のドイツ語学科はオーストリアありきで入りました。2001年に地元の交換プログラムでシュタイアーマルク州のグライスドルフというところにホームステイしているんです。その時からいつかオーストリアに戻りたいと思っていました。その頃は英語もままならなかったのに本当に親切にしてくれて、それが琴線に触れてしまったんですね。
渡辺:第二の故郷、みたいなものになりそうですか。
斎藤:そうですね、シュタイアーマルクはそこまで頻繁に行けなかったのですが、オーストリアという括りであれば第二の故郷と呼べるかもしれません。シュタイアーマルクはオーストリアに興味を持たせてくれた場所、ウィーンは育ててくれた場所、そしてチロルは職を与えてくれた場所です。
渡辺:学生時代の経験で、語学もそうですが、今の仕事に役立っていることはありますか。
斎藤:ウィーンにいるときは、オーストリア国内外含めてけっこう旅行していました。旅行会社なので、やはり実際に行ったところの知識は役に立つことが多いですね。オーストリアにはサマーカードというのがあって、たしか80ユーロくらいでオーストリア国鉄が夏の間ずっと乗り放題になるんです。オーストリアは本当に学生には優しい国です。ウィーンの公共交通のセメスターチケットも格安、保険も格安、授業料に至っては無料なんですから。ウィーンは家賃も安く、毎月300ユーロ弱ほどしか払っていませんでした。ただビザの更新には多額のお金が口座内に必要でしたので、なぜ学生は働けないのに毎月こんなに収入があるって証明しなければならないのだろう、と悶々としていました。
渡辺:やはりオーストリアという国に惹かれて留学されたのですか。
斎藤:はい、2001年のホームステイで人生ががらっと変わりましたからね。ドイツ語は始めないまでも、英語の勉強に精を出すようになりました。
今でもオーストリアに恩返しをしたい、という気持ちで働いています。オーストリアには本当にお世話になりましたから。ウィーン大学にしても、スコットランドの大学へ留学する際、外国人なのに奨学金を出してくれましたからね。ご存じの通り、英語圏の授業料は奨学金でもないと一般人にはとても払えない金額です。授業料を払っていない身としては、感謝の気持ちしかありません。
インターンシップの際も、学科長自らが推薦状を書いてくれました。
渡辺:これから留学したり、斎藤さんのようにドイツ語圏で働きたいという学生もいます。現地に学んで見えてきた利点、それと不便に思ったことなどを教えてください。
斎藤:利点はみなが考えているように、ドイツ語が日常的に使えるということです。言語力が落ちないというのは嬉しいことです。
当然ですが、圧倒的に不便に思うときの方が多いです。お役所との戦いは避けられません。けれど、赤白赤カード・プラスといわれるビザですが、これを5年更新し続けると、EU圏内適用の永住ビザになるということなので、それが当面の目標ですね。それから、いつまで経っても言語の壁というものはあるもので、日本語だったらどんなに楽か、ということが本当に多いです。
渡辺:具体的にはどのような場面でしょうか。
斎藤:会議や交渉に行くとき、どうしても相手のペースになってしまいます。未だに契約書だの法的書類だのに目を通さなければならないときは、溜息が出ます。引いては、文化の壁もありますね。オーストリアにいても、やはり日本が祖国ですから、いつまで経っても和魂洋才の精神は忘れたくありません。
斎藤:そうですね、ランドオペレーターとは違います。ただ基本的に日本の会社を助ける業務をすべて引き受けているので、うちの会社ではやりますよ。例えば一つツアーを組む場合、先ほど言った手配はもちろん、お客さんが現地に来てからのケアもあるわけです。オーストリアはドイツ語圏ですから、通訳およびアシスタントは頻繁に必要になります。
100%必要になるのは怪我をしてしまった場合ですね。またテレビの取材が来たときには必ず通訳をつけます。
渡辺:オーストリア独特の単語なども通訳者には必要になりますね。
斎藤:もちろんです。発信の際にはいりませんが、受信の際は知らないと分らないですからね。特にチロルは難しいですよ。
渡辺:どのようにそういった単語を覚えていくのですか。
斎藤:現地の人と話していくしかないと思います。オーストリア語、あるいはチロル語の辞書なんかもありますが、やはり生きた単語ではないので。でもやはり、完璧にはならないので通訳にはある程度ハッタリが必要になってきます。飽くまで個人的な意見ですが、この能力は通訳上級者になるほど上手くなると思っています。同時通訳なら尚更です。
渡辺:そちらの大学で学ばれた通訳は、やはり徹底したものでしたか。
斎藤:翻訳学科だったので、通訳は基本的なことばかりでした。それでもけっこう濃密でしたね。どういった通訳があるのかから始まり、最終的には同時通訳もやらせてもらえました。技能がないと結局、同時通訳はできませんからね。同時通訳はどのように行われているのか、ということを研究している学者さんも多くいるようです。
渡辺:素朴な疑問ですが、どの言語に訳されていたのですか?
斎藤:通常は同時通訳ではないのですが、ドイツ語、英語、日本語です。日本人は自分だけでしたので、基本はすべてドイツ語、英語でした。
渡辺:やはり英語は必須というわけですね。
斎藤:構造が似ているので楽といえば楽でしたが、それ以前に翻訳通訳学科は3言語必須なので、これしか選択肢がありませんでした。通訳の先生が言っていましたが、「母国語と第一外国語は発信も受信も100%できるようにならなければいけない。第二外国語は受信だけでも100%にしなければいけない」ということです。
渡辺:斎藤さんはなぜその職業を選ばれたのでしょうか?
斎藤:現実的な話になりますが、一番はビザの問題ですね。オーストリアは国内で修士学を修めた人に、大学で学んだことを活かせる職業に就いたらビザを出すという法律があるんです。もちろん給料など細かい規定もありますが、そうでないとなかなか労働ビザは出ないと聞いています。
この話題になるといつも言う文句があるのですが、オーストリアで就職活動をする場合、会社はビザを持っていない人は雇わない、けれどもビザを取得するためには仕事が無ければいけないという決定的な矛盾があるんです。
渡辺:なぜか「ケーペニックの大尉」を連想してしまいました。
斎藤:ドイツは大きいので問題はありません。オーストリアで就職できなかったらドイツへ行こうと思っていました。
渡辺:現地の大学在学中にドイツ語圏での就職を考えていたのですか。
斎藤:そうですね、大学卒業が近づくにつれて薄々は。これだけ留学したからには、最初の数年はドイツ語を使った仕事がしたい、と思っていました。
渡辺:現地で働くからには語学力も当然必要になってくると思いますが、それ以外に重要となる「何々力」といったものには何が挙げられますか?
斎藤:オーストリア人気質にあわせなければならない場面が多いので、忍耐力でしょうか。例えばヨーロッパ人はUrlaub、つまり休暇を取ることで有名ですが、担当のホテルスタッフが日本人の団体が泊まっているにもかかわらず、急に休暇に出たりします。四つ星ホテルでも、あなたがいない間大変だったと言うと、法律で休暇を取らないといけないって決まってるのよ、と言ってくるんです。またハイキングガイドなどは夏が書き入れ時なのですが、8月に堂々と一ヶ月休暇に行ってしまう人もいます。
ただ忍耐力がいるのは、会社が日本人を相手にしているからであって、その中に入るのであれば、休暇は逆に魅力的ですよ。法的に一ヶ月も休暇を取らなければいけないんですから。日本の会社に勤めていたら、まずないと思います。
言い換えれば、忍耐力がいるのは日本人の基準をオーストリア人に求めているからです。こう言うと語弊があるかもしれませんが、日本人は注文が多く、求める基準も高いんです。
渡辺:アルブレヒトゼミはオーストリアと関連のある部分も多々あるようですが、留学先をオーストリアに選ばれた理由もそこにあるのですか。
斎藤:獨協のドイツ語学科はオーストリアありきで入りました。2001年に地元の交換プログラムでシュタイアーマルク州のグライスドルフというところにホームステイしているんです。その時からいつかオーストリアに戻りたいと思っていました。その頃は英語もままならなかったのに本当に親切にしてくれて、それが琴線に触れてしまったんですね。
渡辺:第二の故郷、みたいなものになりそうですか。
斎藤:そうですね、シュタイアーマルクはそこまで頻繁に行けなかったのですが、オーストリアという括りであれば第二の故郷と呼べるかもしれません。シュタイアーマルクはオーストリアに興味を持たせてくれた場所、ウィーンは育ててくれた場所、そしてチロルは職を与えてくれた場所です。
渡辺:学生時代の経験で、語学もそうですが、今の仕事に役立っていることはありますか。
斎藤:ウィーンにいるときは、オーストリア国内外含めてけっこう旅行していました。旅行会社なので、やはり実際に行ったところの知識は役に立つことが多いですね。オーストリアにはサマーカードというのがあって、たしか80ユーロくらいでオーストリア国鉄が夏の間ずっと乗り放題になるんです。オーストリアは本当に学生には優しい国です。ウィーンの公共交通のセメスターチケットも格安、保険も格安、授業料に至っては無料なんですから。ウィーンは家賃も安く、毎月300ユーロ弱ほどしか払っていませんでした。ただビザの更新には多額のお金が口座内に必要でしたので、なぜ学生は働けないのに毎月こんなに収入があるって証明しなければならないのだろう、と悶々としていました。
渡辺:やはりオーストリアという国に惹かれて留学されたのですか。
斎藤:はい、2001年のホームステイで人生ががらっと変わりましたからね。ドイツ語は始めないまでも、英語の勉強に精を出すようになりました。
今でもオーストリアに恩返しをしたい、という気持ちで働いています。オーストリアには本当にお世話になりましたから。ウィーン大学にしても、スコットランドの大学へ留学する際、外国人なのに奨学金を出してくれましたからね。ご存じの通り、英語圏の授業料は奨学金でもないと一般人にはとても払えない金額です。授業料を払っていない身としては、感謝の気持ちしかありません。
インターンシップの際も、学科長自らが推薦状を書いてくれました。
渡辺:これから留学したり、斎藤さんのようにドイツ語圏で働きたいという学生もいます。現地に学んで見えてきた利点、それと不便に思ったことなどを教えてください。
斎藤:利点はみなが考えているように、ドイツ語が日常的に使えるということです。言語力が落ちないというのは嬉しいことです。
当然ですが、圧倒的に不便に思うときの方が多いです。お役所との戦いは避けられません。けれど、赤白赤カード・プラスといわれるビザですが、これを5年更新し続けると、EU圏内適用の永住ビザになるということなので、それが当面の目標ですね。それから、いつまで経っても言語の壁というものはあるもので、日本語だったらどんなに楽か、ということが本当に多いです。
渡辺:具体的にはどのような場面でしょうか。
斎藤:会議や交渉に行くとき、どうしても相手のペースになってしまいます。未だに契約書だの法的書類だのに目を通さなければならないときは、溜息が出ます。引いては、文化の壁もありますね。オーストリアにいても、やはり日本が祖国ですから、いつまで経っても和魂洋才の精神は忘れたくありません。
今でもオーストリアに恩返ししたい、という気持ちで働いています。
「翻訳奮闘記」
渡辺:少々抽象的な質問になりますが、翻訳の授業について教えてください。
斎藤:まず翻訳学科は実務翻訳と文学翻訳学科に分かれています。斎藤は実務翻訳の方でした。
授業はかなり多岐にわたります。字幕をつける授業だったり、機械翻訳、自動翻訳を学ぶ授業だったり、法廷翻訳家になるための講義、フリーランスとして自立するための講義、それにクリエイティブ・ライティングという授業もありました。もちろんメインは実践となります。日・独・英の翻訳をひたすらさせられます。
渡辺:実務翻訳ではやはり、あらゆるジャンルを扱うのですか。
斎藤:はい。新聞記事から新聞に載っている広告、薬に入っている説明書からドイツ語の歌詞、党選挙のスピーチ原稿、婚約届、運転免許証、特許申請書類などなど、すべて実務翻訳です。もちろんホームページや字幕などのメディア翻訳も含まれます。
渡辺:やはり歴史的背景、文化等の知識も重要になってくるわけですね。
斎藤:そうですね。なので授業によっては現地の人とペアになってというものが多かったです。
渡辺:授業は毎回どのように進むのでしょうか。
斎藤:実際の授業は毎回毎回翻訳の繰り返しです。宿題で翻訳が出されて、ときにはペアを組んで次回までに仕上げ、授業で話し合い添削するというように進みます。
一番記憶に残っている授業は、自分がフリーランスの翻訳家になったと仮定して、先生が翻訳の依頼人となり、最終的に疑似の入金までいったら合格というものがありました。この授業はブロック制のもので、週末に一日講義を受け、それからはずっと宿題というかたちでした。目から鱗ということが多かったですね。
これも大学で習いとても頷けたのですが、翻訳に練習本なんて要らないんです。ベストセラーになった訳書を原文と比べる、それが一番だと言われました。だから翻訳学科に翻訳の教科書はありませんでした。
渡辺:翻訳関連の雑誌などではツール(PC、辞書など)がよく紹介されますが、斎藤さんはどのようなものを利用されていたのでしょうか。専門用語の定義が辞書によって異なるということもあると思います。
斎藤:翻訳支援ツールですね。というのは機械翻訳と翻訳メモリのことで、前者は簡単に言えばグーグル翻訳です。インプットすると自動的に翻訳してしまうもの、そして後者は、これは多くの翻訳者が使っているのですが、一度翻訳した文章を覚えていて、次にそのような文章・表現に出会ったとき、自動的に訳してくれる・候補を挙げてくれるソフトです。
翻訳支援ツール、通称CATはドイツ語の定義では後者のみを指すのですが、英語や日本語では機械翻訳もひっくるめてCATと呼んでいるというのが印象的ですね。
渡辺:紙の辞書はやはり、何冊か使い分けますか。
斎藤:翻訳する文章によって必要になってくる辞書が違ってくるので、毎回図書館に行っていました。専門的になればなるほどインターネットでは調べづらい単語が見つかるので便利でしたが、今は数冊しか持っていません。
渡辺:斎藤さん自身は、翻訳家になり、つまりフリーランスとしてやっていこうと思われたことはなかったのでしょうか。
斎藤:翻訳の会社に勤めるならともかく、フリーランスでというのはなかったですね。孤独な仕事ですから。それから、小説家と違って努力がほとんど報われません。
ここからは受け売りなんですが、翻訳家も音楽家も根本的にはやっていることは同じで、文章あるいは楽譜から読み取れるものを自分なりに表現しているに過ぎないんです。けれど一方で有名な演奏家は後を絶たないのに対し、翻訳家は全くといっていいほど有名にならない。渡辺さんは翻訳の授業を受けているというのでご存知かもしれませんが、翻訳はそんなに簡単な作業ではありませんし、一つの表現に何時間も何日もかかることもあるんです。
翻訳家というのはよほどの大御所でない限り生計が立てられない、これは大学で痛いほど学びました。
渡辺:インプットアウトプット100%ということでしたが、単語の覚え方で特に有効だと思われたものはありますか。
斎藤:アナログですが、やはり単語リストを作るということですね。翻訳の授業では多くが、単語リストを作ることから始まりました。原語の意味、定義、使われ方、そして訳語の意味、定義、使われ方をリストアップするんです。このリストの作成に膨大な時間がかかりましたね。ただ、翻訳に単語力はそこまで求められないのではと、個人的には思っています。つまり、その単語の使われ方が重要なんです。なにせ翻訳の作業中はいくらでも辞書が引けるし、むしろ積極的に辞書を引いたほうがいいくらいなのですから。
渡辺:思い込みで訳すのは危険だと言われますね。
斎藤:だから生の文章を読む、書く、聞く、この3つが本当に大切だと思います。ドイツ語から日本語への翻訳であれば、日本語が一流であればあるほど良い。ドイツ語ばかり勉強していても駄目だということが、痛いほど分りました。
渡辺:翻訳ではなるべく原文の順序で訳していくのがいいと言われます。そうした構造的な面で苦労されたことはありますか。
斎藤:文章に依ると思いますが、特許翻訳などはその典型ですね。ドイツ語が一文であったら、どんなに長くても一文にしなければいけない。文というのは、長くなれば長くなるほど執筆力が問われるのですが、特許の文書は本当に翻訳しづらかったです。
当てはまらない典型としては、字幕がありますね。あれはまた、視聴者が一見して分らなければアウトなので、構造はあまり関係ありません。これはメディア翻訳全般に言えることだと思います。それから学術書を訳すときにでも、訳注を積極的に使いとにかく正確性を求めるものと、読みやすく翻訳したものがあったり、誰を対象にしているかという点でも違ってきます。
渡辺:これからは岩波文庫の訳注も丁寧に読みます。
斎藤:意訳が批判されることが多いと感じていますが、これも対象者にとっては大切なんです。直訳は文化的な相違があった時点で伝わらなくなりますから、直訳が必ずしも良いというわけではありません。
渡辺:では最後に、後輩へのメッセージをお願いします。
斎藤:「オーストリアが好き」という気持ちだけはいつも大切にしてきました。オーストリアが好きだからドイツ語を始め、ウィーンへ留学し、インターンまですることができました。そして今、自分を成長させてくれたオーストリアのために働いています。社会人になる最後のステップだからこそ、好きなものに全力投球してみるのも良いのではないでしょうか。
取材後記
斎藤さんの言葉から、オーストリアへの愛が自然と湧き出ているように感じられました。ホームステイから始まり、留学、そして現地就職。運命的なものがありますが、そこには決断力・行動力がありました。ナポレオン・ヒルの„Think and Grow Rich“はお金の話もかなり出てはきますが、メンタリティーについても触れています。何かネガティブなことばかり考えていると、それはすぐに「実現」する。同様に、強く思い描いていることは行動を伴うことによって実現する。インタビューを終え、斎藤さんはまさにそれを体現された人ではないかと思えてきました。
では締めくくりに、あるドイツ人の行動を促す言葉を引用してみましょう。
„Was immer du tun kannst oder erträumst zu können, beginne es.
Kühnheit besitzt Genie, Macht und magische Kraft. Beginne es jetzt.“
−Johann Wolfgang von Goethe
(Interviewer:渡辺友樹 ドイツ語学科3年)
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